「頭脳労働(精神的労働)と肉体労働とでは、マイクロバブル入浴の欲求度が異なる」

この問題を発見してから、その検証が続いています。

私の場合、新たな課題を見出した場合には、まず、その仮説を打ち立てることにしています。

その確立とともに、その検証を行います。

この場合、重要な問題ほど、その検証を念入りに行い、「これで間違いない」という思いに達するまで、粘り強く行うことにしています。

そして、この確信を得た後は、それを科学的に検証する段階に分け入ります。

さらに、自分だけでなく、他の方々にも、その体験的検証を行っていただき、それが自分よがりではなく、他の方々にも通用する普遍的なものであるかを確かめていきます。

そして、その普遍的な確立を経て、公的な発表や発言を行うことを基本としています。

それだけ、たしかな方法を確立しないと、そのことによって社会的な混乱を生み出す恐れがあるから、慎重なプロセスを選択していくことに注意を払っています。

本論においても、その基本に則ることにしていますが、ここでは、その過程についても、率直に述べて、読者の理解を得やすいようにしています。

その点が本ブログのよいところでもありますので、どうか、よろしくお願いいたします。

さて、本題に戻りますが、この入浴意識が薄らぐ現象は、3年前に、こちらに来てから、しばしば感じていたことでした。

ーーー あれほど愛用していたのに、これは、いったい、どうしたのであろうか?

こう思い続け、それが重要な疑問になっていました。

そして、私は、この問題を、マイクロバブル入浴生理の問題としては理解せず、自分の主観的な感じ方の変化の問題であると思っていました。

逆に言えば、前の職場においては、精神的苦労が多かった、それだけ精神を酷使していたということになります。

そのことが、自ら開発したものとはいえ、マイクロバブル入浴を常に促していましたので、それが普通の感覚になっていたのでした。

ーーー そうだったのか、 これで重要な謎が解けてきた!

これは、私にとっては小さくない発見でした。

なぜなら、新たな環境への身体的対応が、このような変化をもたらしていたことを気付かせ、さらには、精神的労働を行う余力、あるいは余裕が存在していることが明らかになったからでした。

その意味で、2014年12月から2015年3月中旬までの執筆作業時におけるマイクロバブル入浴は特別であり、それを通じて、この命題が明らかになったことには感謝しなければなりません。

さて、この専門書の発行準備が続いているそうで、昨日の連絡では、当初の予定の4月ではなく、今月中に発行されるそうです。

また、この目次も発表されていて、それも拝見しましたが、現時点でのマイクロバブル技術の到達点のかなりの部分が反映されているのではないかと推察させていただきました。

私は、この執筆依頼を受けた時に、その当時の目次を拝見し、そこに、マイクロバブル技術に関する全体像とこれからの課題に関する内容が不足していたので、これでは、せっかくの専門書づくりにおいて、重要な柱が欠けていると思い、そのことを尋ねてみました。

そしてら、出版社の方からは、ぜひとも、その部分を書いていただきたいという依頼があり、結局は、それを引き受けることになりました。

この章は、「マイクロバブル技術20年と今後の課題」とさせていただきましたが、これが契機となり、「マイクロバブル技術論」という問題を本格的に考察してみようと思うようになりました。

すでに、その一部が、1950回記念シリーズにおいて展開され始めています。

これについては、その章の内容を、さらに克明に発展させようという意図のもとで書き進められていますが、それを、どこまで分け入り、展開できるのか、そのことを確かめながら考えていきたいと思っています。

途中から、本日の主題とそれてしまいました。その続きは、次回に述べさせていただきます(つづく)。
広重 袋井 出茶屋

広重東海道五十三次 袋井 出茶屋