しらたまちゃんと二人の妹たちが山梨に帰ってから1週間が経ちました。

あの朝から晩までの賑やかな声が聞こえなくなり、ようやく、その静けさにも慣れてきました。

おかげで、楽しいクリスマスから、正月、そして3月の雛祭りまで、とてもゆかいに過ごすことができ、そして、その孫たちから元気をいただくことができました。

とくに、新しい命が誕生して、その子を毎日抱くことができ、乳飲み子の感触と匂いを嗅ぐという幸福を味わうことができました。

最初は、腹がすくと泣き、そしておむつが汚れると泣き、それらが解決するとすやすやと眠る、これが赤ん坊の行うことでした。

真正面から向かい合っても、視座が定まらず、じっと見ることもできませんでした。

生理的笑いはあっても、自らすすんで笑うこともできませんでした。

それが、60日を過ぎた頃からでしょうか、目が合うようになり、こちらがにっこり笑うと、それにこたえて笑うようになりました。

脳の発達が、視覚に及び、笑う行為もできるようになったのだと思います。

どうやら、顔かたちがしらたまちゃんによく似ていますので、こちらが二人目のしらたまちゃんになっていくのかもしれませんね。

さて、そのしらたまちゃんとすぐ下の妹を観察してきましたが、二人に共通する特徴は、「自分で遊ぶ力」を有していることでした。

まず、しらたまちゃんが自分で遊ぶことを探し出すと、すぐに、そのまねを妹の方がして遊びます。その意味で、しらたまちゃんは、妹にとっては遊びの先生のような役割を果たしていました。

たとえば、しらたまちゃんがウルトラマンが好きで、その人形を持って遊ぶと、妹の方は怪獣の「がんきゅう」が好きになるという具合で、二人の関係が成り立っていました。

この二人を見ながら、私が興味を抱いたのは、その創造力でした。とくに、しらたまちゃんは、自分で遊ぶ道具を工作するのが好きで、既成のおもちゃは不要ではないかと思うことがしばしばありました。

とにかく、自分の思い描いたものを紙とハサミ、そしてセロテープを使ってどんどん作って行くのです。

これを観て、子供は創造力が豊かである、日本人は生来、創造力がないという見解は間違っていると思いました。

これが学校教育の中で、「みんなができることを、なぜあなたはできないの?」といわれるようになり、それが、その創造性を封じ込めることにつながっていくのではないかと思います。

2つ目のすばらしさは、勘が鋭いことです。おそらく、鋭い直観に合い繋がるものではないかと思います。

もともと、頭の中で、言葉遊びや数字遊びが好きなので、それを何度も繰り返すことで、それらをきちんと理解しています。

それが基礎にありますから、ちょっと教えただけで、たとえば足し算、引き算が簡単にできるようになりました。これが4歳になったばかりのしらたまちゃんでした。

親の方はまだ早いと、それらを教えませんが、当の本人は自分で、ひらがなとカタカナを覚え、書けるようになり、数字は足し算、引き算ができるようになり、6歳用のドリルを簡単にやってのけます。

総合的な力が、それらを可能にするのだと思います。

それから、なぜ、なぜを、それこそ、くどいように連発します。

また、私のパソコンにはトランプ遊びが備わっていて、合計で5種類のソフトがありました。

これには、4種類のトランプを1から重ねていくもの、1から13までを並べて処理するもの、足して13になる2枚のカードを選ぶもの、さらには、数字の連番を追跡して処理していくものなどがありましたが、この処理能力がとても早くなりました。

最初の頃は、やや時間がかかっていましたが、それが徐々に早くなり、澱みなくできるようになって、「自分でやるから、困った時だけ、教えてね」というようになりました。

このトランプは、5種類ごとにランクがあり、初級、中級、上級、特上級があり、それぞれ獲得する星の数が増えていきます。

この初級と中級は、ほぼ自分でできるようになり、私とは、それから上での共同作業を行うまでに至りました。

ほぼゼロからスタートして、帰るころには、その星の獲得数が700点近くにまで達するようになりました。

朝起きて、真っ先に私の部屋に来て、「トランプしませんか」といってくるので、私は、その前に、自分の朝の仕事を済ませ、丁度休憩時間の頃に、彼の訪問を受けるという時間調整を行っていました(つづく)。
yr201503-1
しらたまちゃんとその妹(歌を唄っています)