どうやら、イシモチカレイに魅せられたのは私だけではありませんでした。

昨日は、そのイシモチカレイの「粗(あら)」の部分が、唐揚げで登場しました。

それをおいしくいただいていました。

その日は、あまり、この魚に興味を抱いていなかった「しらたまちゃん」に、その一切れを示して、「これ、おいしいけど食べる?」と尋ねました。

そしたら、頷いたので、それを食べていただきました。

目の色が変わる、とはこのことをいうのでしょう。

「もっと、もっと!」といいはじめました。

まだ、かなり残っていたので、骨に気をつけて、お母さんに食べさせてもらいました。

四歳になったばかりの子供にも、このおいしさが解るのでしょう。

それから、どんどん食べ始めて、食卓の唐揚げ分はすべてなくなってしまいました。

当然のことながら、それでも彼の胃袋を満たすまでには至らず、残っていたイシモチカレイの刺身も唐揚げにしていただきました。

それにしても、すばらしい食欲で、大人も圧倒されてしまいました。

考えてみれば、大人も子供も、おししいものは同じなはずですから、彼が、このような反応をしたことは、ある意味で自然なことです。

「山梨では、このように白身の魚は食べられないので、たくさん食べておくといいよ!」

こういわれると、しらたまちゃんは、とてもうれしそうでした。

このイシモチカレイ、幼き頃の食の思い出として、しっかり彼の脳裏に刻まれたことでしょう。

ところで、このイシモチカレイの刺身の話をしておきましょう。

イシモチカレイ刺身

周囲のやや白っぽいのがイシモチカレイです。

真ん中の赤身は、ムロ鯵です。

そして、青物は自家製のセロリで、豪華な顔ぶれです。

このイシモチカレイの味は、前回のものとやや異なっていました。

おそらく、今回は購入時に、血抜きをしていただいたので、それが影響していたのではないかと思われます。

柔らかくて、甘みがあり、おいしい、この表現では、同じになりますが、今回では、これにやや弾力性が加わっていたように思います。

それでは、厳密にいうとどちらに軍配を挙げるか、ここは難しいところですが、敢えて、それを問われるとすると、前回の方かなと思います。

この差は感激度の違いであったように思います。なにか、その感激の上品さにおいて微妙に違いがあるように思いました。

もちろん、前回が最初ということもありますが、冷静に考えると、そのような評価になりました。

ここまでくると、まことに微妙ですが、私はそのように感じました。

これを食べると「100年生きられる!」、これはあながち嘘ではないよう思えるようになりました。

それは、しらたまちゃんといっしょにイシモチカレイに魅せられたからかもしれませんね(つづく)。