やや遅れての記念の新シリーズ記事です。

じつは、今回のマイクロバブル技術関連の執筆を通じて、いくつかの重要な事項について考察させていただく機会に恵まれました。

合計で約70ページ余ですから、久しぶりに少なくない執筆量になりました。

そのすべてのゲラ原稿の最終校正を終え、ほっと一息つくことができましたので、この執筆を考え始めました。

「鉄は熱いうちに打て!」といいますが、丁度よい機会でもありますので、その勢いに乗って、書き進むことができるとよいなと思っています。

なかでも、上記の執筆において、初めてのマイクロバブル技術についての総合的な検討をさせていただきました。

具体的には、マイクロバブル技術を創成してからの20年を振り返り、その結果を踏まえて今後の課題を示しながら、その技術的展望を行うという、重要な執筆になりました。

その折に、いくつかの根本的問題が明らかになってきました。

ここでは、その問題を軸にして、いよいよ、「マイクロバブル技術論」の考察を試みたいたいと思います。

最初の疑問は、次のようなものでした。

「マイクロバブル技術は、この20年において、ゆっくりではあるが、なぜ着実に発展してきたのか?」

ある著名な研究者が、あるとき、マイクロバブル技術について「5年もすれば、すべてが究明されて、廃れてしまう」と批評を加えたことがありました。

それから、すでに5年以上が経過していますが、この予言どおりにはならず、実際には、その反対の現象が起きています。

それはなぜでしょうか。

おそらく、数々の新技術を見渡してきた先生の発言ですから、それなりに説得力があるはずで、5年以内に消えていく技術をたくさん見てきたことから、その発言に至ったのだと思います。

これを聞いたときに、私は少しも反論せず、その可能性も含めて検討し、マイクロバブル技術に付き合っていこうと思っていました。

また、それよりも前には、次のような忠告を受けたこともあります。

「先生、気を付けてください。技術開発力と販売力を持った大手企業がま技術を独占しようとしています」

これも、この忠告通りにはならず、この別の大手企業の方の予測ははずれてしまいました。

今回の執筆では、なぜ、これらの予言や予測が外れたのか、そして、マイクロバブル技術が他の技術と、どう違うのか、この点についてより深く分け入ることにしました。

そこで、「5年もすれば、すぐに廃れてしまう技術」についてから、その考察を加えることにしましょう(つづく)。
北斎 常州
北斎富獄三十六景 常州牛堀