昨日の現地からの報告では、窯の温度が430℃に上がってきたそうです。これで、今までの遅れ気味の温度上昇が、一気に逆転し、今度は早まってきたそうです。

本日の予想は、半月で1000℃に到達するであろうということでした。

いよいよ、巨大な龍が暴れ始めました。

考えられないような高温の世界のできごとです。

先生の記事に戻りましょう。

現在の寒風地域に移ってからも、その85m巨大窯の準備が進められてきました。

まずは、53mの築窯、これには、最高1200℃の温度に耐えうる構造を持っていなければなりません。

53mとはいえ、煉瓦と鉄骨を用いた大作業が必要でした。

他の有名な陶芸家であっても、その長さは10m程度であり、いかにX先生のスケールが大きいか、よくお解りのことと思います。

次に、膨大な量の薪を集める作業がありました。

4000トン(10トントラック400台分)ですから、それがいかに気の遠くなるような量か、しかも、山から切り出して天日乾燥させ、丁度よい大きさに切っていくのです。

ここで、この薪集めに重要な役割を果たしたM2さんについて、述べておきましょう。

ある時、寿司屋にX先生がおられたので、「何か手伝うことはありませんか?」と尋ねたそうです。

X先生は、きっぱりと、そして丁寧に「何もありません」と返事をなさったようでした。

ここであきらめないのが、M2さんの気転の効くところです。

「陶芸には、かならず薪が必要になる。建築廃材として、赤松のよいのが出てくるので、これが持ってこいのはずだ!」

この作戦は、ピタリと当たりました。

先生が喜ばれたのはもちろんのことでした


そして、このM2さんの紹介で、私とK1さんがこのプロジェクトに参加することになりました。

K1さんには、昔のNHKカメラマン時代に培われた独特の眼力があり、このプロジェクトを大きく放送し、しっかりと記録として残しておきたいと思い、素早い動きが始まりました。

今のNHK本局と岡山支局の合同チームづくりにも、陰で寄与されました。

そして、なによりもこの壮大な実験に積極的に参加したい、これに関する強い思いがありました。

私の役割は、この備前焼に「科学の目」を注ぎ、その分析と評価、展望を見出すことでした。

こんな途方もないことが、私にできるのか? いつも、新しいことに取り組む時に出てくる疑問です。

幸い、私には、その種のマイクロバブルの経験がありましたので、それが役立つことになりました。

まずは、先生の心をどう理解し、どう捉えるか? ここからはじまりました(つづく)。

北斎甲州石班沢

葛飾北斎 甲州石班沢