2月13日の日経新聞文化欄に、X先生自身が投稿された記事が掲載されていました。

大見出しは「85メートル大窯に燃やす情熱」、小見出しには「土が動き、心が動く備前焼をめざして火入れ」と書かれていました。

昨日も、H氏が来られ、しばらくの間、この焼き物について歓談させていただきました。

「そうですか、そんなに深い意味があったのですか。普通の読者は、そこまでは解らないですね」

こういわれたこともあり、再度読み返して、その感想を書かせていただくことにしました。

記事の前半は、今回の大窯(全長85m、幅6m、高さ3m)を建設し、その火入れの経過が記されていました。

私も、この窯の中に入ったことがありますが、まるでトンネルのようで、静かにひんやりとした空気の中で作品が所狭しと並べられていました。

さて、今回の大窯焼きは、先生の40年間の集大成、それは過去に得たヒントを基にしての検証であり、未来を切り拓く新たな事業でもあります。

先生は、過去に、50m前後の大窯を二度焼いた経験を持っておられました。

その経験を通じて、先生は、古備前の復活をめざし、それを実現できるのは大窯しかないと思うようになりました。

その古備前の焼き物について、先生は、「大きなエネルギーに満ちた姿に言葉にならない感動を覚えた」と述べられています。

この「大きなエネルギーに満ちた姿」とは、いったい何を意味しているのでしょうか。

ここが、最初の重要なポイントです。

備前焼は1300℃の高温で焼かれます。この温度で焼く場合には、その窯ができるだけ小さい方がよく、それだけなら、備前焼らしきものを作ることができます。

しかし、それでは、なんの面白みもなく、ましてや、古備前を復活させることなどできるはずもありません。

先生の考えによれば、窯全体のエネルギーの総体が、その焼き物に反映されるということです。

ですから、20mよりも50mの窯の方に、そのエネルギーの反映がもたらされるということをしっかり確認され、その結果を踏まえて85mの巨大窯をわざわざ建設して焼こうとした、これには、必然的な科学的判断が働いています。

この大窯の秘密を解明しなければ、「焼きものの未来はない」、これが私財を投げ打ってでも巨大窯づくりに向かわせた原動力でした。

ここで、2つ目の重要問題がクローズアップしてきます。

この解明がなされれば、焼き物の未来が拓けるということは、その展望を先生が確かに持たれているということでもあり、この言葉の奥には、そのことが読み解けるのです。

さて、その展望とは、どのようなものでしょうか。

それを実際の焼き物を通じて見せ、そこに未来が見える、このようなものでなければなりません。

この事業は、単に、巨大窯を500年ぶりに造って、作品をつくるということだけではないのです


そのことが、先生の記事の節々から見えてくる、このように感じました(つづく)。

北斎 相州梅沢庄

葛飾北斎 相州梅沢庄