1800回記念として、「佐藤浩先生回顧」の記事を書かせていただきました。

そのなかで先生は、順に、食料、エネルギー、環境、医療の分野の重要性を指摘し、その「研究のすすめ」を強調されていました。

しかも、それは、「趣味学問(『理解学問』とも呼ばれていました)」ではなく、実利に則した学問、すなわち、文字通りの「実利学問」としての発展を追究することの大切さも明らかにされていました。

適用する技術の目的を鮮明にし、その豊かな成果を導き出すことができるように、人も金も積極的に投入すべきであるという見解でした。

これに関連して、2、3日前の日経新聞の記事に、島根大学名誉教授のO氏の取材記事が掲載されていました。

O氏は地域経済が専門で、古くから「地域おこし」に関わられてきた専門家です。

そのかれが、今日の産業や地域おこしについて興味深いことを指摘していました。

それは、「これからの、産業と地域の発展は、これまでの『高煙突型』から『富士山の裾野型』に移行すべきであり、それがすでにもう始まっている」ということでした。

高煙突型の典型は、自動車やデジカメの分野です。

それでは、「富士山の裾野型」とは、どんなものなのでしょうか?

ここで、上述の佐藤浩先生が指摘され四つの分野が、この裾野型に完全に重なってきます。

換言すれば、
食料、エネルギー、環境、医療であれば、その広大な裾野を持つことができるということができます。

また、もうひとつの重要な側面は、それらが、マイクロバブル技術が切り拓いてきた裾野とよく一致していることにあります。

マイクロバブル技術こそ、その裾野の形成に重要な役割を果たせる可能性を有しているのではないかと思います。

そこで、これから、その裾野に少し分け入ることにしましょう。

なにせ、「分け入っても、分け入っても、マイクロバブル」ですから。

その最初の裾野は、食料分野です。

食料は、国民生活の基本ですから、この裾野は真に広大です。

ほんの50、60年前までは、ほとんどの家庭で、自分たちが食べる野菜や果物を作っていました。

それは生きていくための必需品でしたから、それを植えて育て、食べていくことが自然に行われていました。

ところが、都市に労働者が集まり始めてから、この事情が変わっていきました。大型の店やスーパーの店頭に食料が並び始めたのです。

工場で働くことで賃金を得て、その金で食物を買うということが定着するようになりました。一見すると便利ですが、それを手に入れる代わりに、それを自分で育てるということを忘れてしまったのです。

これを便利と考える方も大勢おられますが、その食物を育てるという大切さは、じつは、その便利さで代償できるものではなかったです。

そのことは、自分で育ててみて初めて解ることだったのです。

若い妊婦や母親が、子供と自分のために、安全で安心にこだわって食料を確保する時代がやってきています。

高齢者も健康を維持するために、安全でおいしい食料を得たいとますます思うようになりました。

都会では、レンタルの野菜づくりが流行りはじめました。

これらの行き着く先は、自分で育て、自分で食べる、安全で、格段においしい食物を作る時代がやってこようとしているのです。

一方で、化学物質や農薬漬けが氾濫し、外国産の食糧の危うさが各方面から指摘され、報道されています。

頼るのは自分しかない、これは、戦時中に、多くの家庭が自分の菜園を持って野菜を育てていて、いざというときに少しも困らなかったことと通じる話です。

ですから、ここに、食料問題における「ブレイクスルーの課題」が潜んでいるように思われます。

これは、この3年の研究において、私自身が辿りついた実践的到達点でもあり、その過程で、その重要性を確かめてきたことでもあります。

ところが、その食料生産を行う基盤が衰退し、そこに危機が訪れています。

周知のように、生産性・採算性が確保できない、技術の停滞、高齢化、流通機構の硬直化など、さまざまな問題が指摘されています。

そこで、ここでは、その典型としての「植物工場」問題に、より深く分け入ってみることにしましょう
(つづく)。
広重53品川日の出

広重東海道五十三次・品川日の出、すばらしい構図です。