「なぜ、巨大な登り窯に挑戦されたのですか?」

陶芸家のX先生へのインタビューは、ずばり、この質問から始まりました。

これに対し、X先生は、幼少のころからの焼き物に関する実体験から話を始められました。

自分で土をこね、薪木で火を起こして、それを焼いて遊んでいたのです。

「幼いころから、焼き物が好きだったのですか?」

「好きでしたねえー」

「それを見られて、お父さんは喜ばれたのではないでしょうか?」

「いえ、何もいいませんでした。いつも何もいわないのです」

「お父さんは、焼き物のことを何か教えてくれましたか?」

「少しも教えていただけませんでした」

「そうですか。お父さんについては、どのように思われていたのですか?」

「私のやろうとしていることに反対ばかりで、正直、反発していました」

「そうですか。今では、お父さんのことは、どう思われているのですか?」

「それが、おやじとそっくりのことしています」

これには、質問者の私たちも、おもわず爆笑でした。

そのお父さんが、あるとき、窯を任せるから「焼いてみなさい」といわれたそうです。

自分で責任を持って、窯を焚き、焼き物を焼くことを任されたのでした。

焼きあがった数百個の焼き物のなかから、わずか2つでしたが、「これは、どうしたのであろうか?」と、思いも寄らない作品ができていました。

X先生の心の中に、この2つの作品が刻み込まれました。

「なぜ、このような作品ができたのであろうか?」

それから、土と水の研究、そして窯の研究が始まりました。

一人前の陶芸家としての自立の旅に出発したのでした。

しかし、尋ねている側の私たちには、その心に刻んだ2つの作品の「何がよかったのか」が皆目解りません。

それに、巨大な窯づくりの話にも及んでいませんでした。

「それから、どうされたのですか?」

「その2つの作品がなぜできたのか、その理由がまったく解りませんでしたので、それを追い求めていきました」

「どのように、追及されていったのですか?」

「はい、土や水が同じでも、その焼き方しだいで違いが出てくることが解ってきました」

「その違いとは、どのようなものなのですか?」

「ちいさな窯で焼くと、その思いも寄らないことは起こらないのです。大きい窯ですと、焼き方に余裕が生じ、何かふしぎなことが起こるようです」

「その余裕とは、炎の流れが乱れるということでしょうか?」

「そうともいえますね。とにかく、小さな窯で焼くと、私が予想した通りの焼き物しかできないのです」

ーーー そうか、並みの陶芸家だと、自分の予想した作品ができたと喜ぶはずだが、この方は、自分の予想を超えたところに目標を設定していて、それにこだわっているのだ!

これを聞いて、その2つの作品に隠されていた「重要な何か」、これを簡単に解ろうとすることには無理があるのかもしれないと思うようになりました。

そこには、自分が受け継いできた過去と伝統を、根底からブレイクスルーしたいという、この作家の執念が垣間見えていました
(つづく)。


北斎竜虎展開図

葛飾北斎の提灯絵 竜虎展開図