このところ、毎日の長時間入浴が定着してきました。

新聞や単行本を持ち込み、そこで、何か良い記事を見つけて、読書を楽しむ、真に贅沢な一時を過ごさせていただいております。

早いもので、1月も下旬になってきました。

さて、前回と前々回の記事で紹介させていただいた小説は、「福島の悲劇」が、再び「新崎県」で起こるという、ショッキングな結末でした。

しかも、この大惨事を引き起こした理由は、「原発再稼働」にあり、この原発ホワイトアウトが、東京を中心とする関東を放射能汚染で廃墟にしてしまった、というものでした。

たしかに,ここまでを論理的に導くには,大変な展開力と説得力が必要でした。しかし、それは十分に備わっていました。

とくに、官僚内部の目から、それを見た点が新鮮で、官僚の方々が何を考えているかを赤裸々に描いているのが読者の興味を引き立てていました。

前回、前々回の記事で、「原発ホワイトアウト」、「東京ブラックアウト」の感想を書かせていただきました。

「原発再稼働が、東京を廃墟にさせててしまった」

この結論に至るまでを、若手官僚の目線から、その動態を赤裸々に描いた物語には、かなりの説得力があり、興味を覚えました。

その最後の最後では、日本最大の原発がメルトダウン、そして爆発、さらには、その汚染が北風に乗って東京一円に大量積雪し、立ち入り禁止区域になってしまいました。

そして、担当官僚が描いた通りに、東京一円は外国の核燃料の中間貯蔵施設になりました。

国土の再興ができないので、その廃墟を利用して外国から金を獲ろうとする、そんなことにまで「浅知恵」がはたらくというかれらの生態が、ここに象徴的に表されていました。

孫たちが、風呂から上がるときに、10を数えた後に、「おまけの、おまけの、汽車ポッポ、ポーとなったら上がりましょ!」といいます。

このおまけの「汽車ポッポ」が、その貯蔵施設なってしまったことが、この小説の結末の皮相性を際立たせています。

いつまでも、心に澱む結末でした。

さて、単独記事50回記念に関しては、これで締めくくりとさせていただき、いつもの「私のマイクロバブル入浴研究」記事に戻ることにしましょう。

たしか、K1さんに関する記事を書き進めていて、それが中断していました。

かれについては、これまでの記事に何度も登場していただきましたが、それらを念頭に、その後も含めて紹介させていただきます。

数年前に、早朝の暗い頃に散歩に出かけ、木の根っこに足をとられて転んだことがありました。

前向きにバタンと倒れ、顔を強打、鼻の下を擦りむいたことがありました。暗い木々の下でしたので、何が起きたのかが、一瞬解りませんでした。

気が付くと、その鼻の下と足に強烈な痛みがあり、すぐに自宅に引き換えし、マイクロバブルのお風呂に入りました。

強打した部分にマイクロバブルを当てて治療しようと思ったとっさの行為でした。

長年、マイクロバブル入浴に親しんでいると、何をすればよいのかが解るといいましょうか、「もう、これしかない」という思いで入浴したのでした。

生傷ですから、マイクロバブルを当てると相当な痛みがありました。しかし、しばらくすると、その痛みが和らいでいきました。強打した足の膝の部分も同じでした。

じつは、これとほぼ同じ時期に、K1さんも顔に怪我をされていました。

こちらはもっとひどく、持っていたワインの瓶が、倒れた拍子に割れて額をざっくりと切ってしまわれたそうです。

傷口を抑えたまま電車に乗り、我慢して自宅までたどり着き、すぐにマイクロバブルのお風呂に入り、傷口にマイクロバブルを当てました。

やがて血が止まり、傷口の痛みも和らぎ、風呂の中でほっとされたそうです。

その後、額の傷にみなさんが驚かれ、「医者に行った方がよい」と勧められましたが、その通りはせず、マイクロバブルのみで、その対応をなされたそうです。

世間から見れば、これは「頑固な行為」と受け留められます。身内からも「あきれた行為」になります。

しかし、それは反面、「マイクロバブルに託した行為」でもあり、その報告を受けた私は、「なんとなく、その行為の訳」を理解できました。

「ふしぎですね。同じ時期に、しかも同じ顔の怪我をして・・・?」

この時は、これで終わったのですが、その次にも、これとほぼ同じようなことが起こりました。

これが、二度目の「ふしぎ」でした(つづく)。
北斎富獄三十六景(深川万円橋下)
葛飾北斎(富獄三十六景・深川万年橋下)