10月7日 今朝は、待望の自家製野菜のサラダが食卓に上ってきました。 まずは、そのサラダを示しましょう。 ドレッシングは、オリーブオイルに岩塩としました。これが、野菜の味を評価するのに一番良いのです。 自家製サラダ このうち、ミニトマト以外は、すべて自家製
2021年10月
国東の食環境(363)カボスと柿
ユッツが見つけた柿 先日、お隣のMさんが、新鮮なカボスと食べごろの柿を持ってきてくださいました。 早速、カボスは2つの切って、汁物に入れる、醤油に加える、ホットジュースにするなどして旬の香りを親しむことができました。 このカボスは、皮が薄く、果肉部
緑砦館物語(82)アグリ作業(13)
10月5~6日 今朝は、昨日作った新たな苗床の水やりを行いました。 さて、苗床がいくつか揃ってきましたので、その名前を付けて整理することにしました。 1.プランター① 90㎝×50㎝×12㎝ 設置場所:裏庭 播種(はしゅ)名:チンゲンサイ、コマツナ、シュンギク
徒然に光マイクロバブル(94)失敗の本質(5)創造的破壊の突出(1)
最も印象深かった一節 『失敗の本質』(戸部良一ほか)の「最終章(失敗の教訓)」に分け入り、最も印象深く思った一節が、「創造的破壊の突出」でした。 「組織的な進化とは、創造的破壊を伴う『自己超越』現象である」 すなわち、「自己革新組織は、たえずシステム自体
富がやって来る水(富来水)(3)coffee time(1)
Mさんを迎えて 昨日は、久しぶりに爽やかな懇談をすることができました。 じつは、国東の富来大恩寺のMさん宅の地下水をいただき、その光マイクロバブル水処理を行なうことができていたので、その水を用いて、細やかではありますが、coffee timeを設けることにしまし
徒然に光マイクロバブル(93)私の日本酒奥儀探索(1)
日本酒の長所と短所 本日は、これからの日本酒造りについて関係者のみなさんとテレビ会議でショートプレゼンテーションと討論を行いました。 すでに、本稿においても「ゴールドクラウンⅠ」などにおいて光マイクロバブル技術を巧みに適用して、いわば起死回生の、世界に誇
「七島イ」産業革新の課題と展望(4500回記念)(2)
七島イの学習 七島イを自分で栽培し始めたことから、その栽培方法について調べ始めました。 また、現地の方々からも直接教えていただき、苗のサンプルをいただいたこともありました。 すでにHP上では、その栽培方法などが詳しく掲載されていましたので、それらを参考にし
緑砦館物語(81)アグリ作業(12)
10月4日 種からの苗づくりが始まりました。 まずは、土と容器の確保が必要でした。 前者は、苗の土落としをしたときの土が残っていましたので、これを捨てるのはもったいないと思い、そのまま使用することにしました。 後者の方は、先日の資材置き場の片付けの際に、以
国東の食環境(363)シャインマスカット
敬老の日のお祝い 先日の敬老の日に、お祝いがユッツと甲府に住む4人の孫たちから贈られてきました。 一つは、日出町の有名店パニエのケーキであり、これはユッツから、もう一つは、甲府の孫たち4人から贈られたシャインマスカットでした。 前者は、先日のユッツの
光マイクロバブル技術とは何か(4250回記念)(5)
光マイクロバブルとは何か (4) 「光マイクロバブルとは、その発生時において1~65㎛の直径を有する極微細な気泡のことで、その発生後は、自ら収縮していく性質を有する」 そして、光マイクロバブル技術とは、 「光マイクロバブルおよび光マイクロバブル水の物理化学的特
「七島イ」産業革新の課題と展望(4500回記念)(1)
プロローグ 最近、国東の特産である「七島イ」について何度か議論を行う機会がありました。 そのきっかけは、日出町にある海沿いのホテルの社長さんが、七島イに拘っておられ、その客間の和室に「七島イ畳」を採用されているのだそうでした。 しかし、国産、すなわち国東
緑砦館物語(80)アグリ作業(11)
10月1日 GFH2と3におけるアグリ作業が一段落しましたので、この2、3日は、そこに移植した野菜の観察に留まっています。 すでに、次の作業として、以下の準備が始まっています。 ①光マイクロバブル水の製造 ➡ 発芽とその後の成長に最適の光マイクロバブル水の探
国東の食環境(362)新高
新高(にいたか) 先日、近くのホームセンターに苗を買いに行った帰りに、近くのスーパー(「新鮮市場」)に立ち寄ってもらいました。ーーー そろそろ、地元特産の梨「新高」が出てくるころではないか? やはり、梨コーナーで、それを見つけました。 まだ、出始め
マイクロバブル洗浄における誤謬とトリックについて(6)
すぐに見破られる一見「巧妙なトリック」 一見巧妙ですが、すぐに見破られる「トリック」を使って、大量に売りさばくことが未だに横行している日本社会、これらを目の当たりにすると、少しも科学的認識においては進歩していないのではないか、とさえ思うことがあります。