K1さんからの「国東お魚便」の復活依頼もあり、安岐港の競りに通う回数を増やすことにしました。 というのも、日によって魚の水揚げ量が異なりますので、行けば、その場で「お魚便」にふさわしい魚を確保できるというわけではないからです。 そこで昨日、その競りに行
2016年01月
第7回マイクロバブル研究会の案内
下記の要領で、第7回マイクロバブル研究会が開催されますので案内させていただきます。 第7回マイクロバブル研究会 吉田松陰の「松下村塾」での教育精神を学び、研究会員のみなさんが持ち寄った課題を解決するための研究会です。 地域の農業振興や生物の健康、洗浄、
奇跡の白備前(4)
放送では,昨年7月の窯開けの際に,森先生から発せられた次の生の声が伝えられていました. 「何か,恐ろしいことが起きている」 「この巨大窯では,人知の及ばない,思いもよらないことが起こっているはずだ」,これを期待しての窯開けであり,そのことが,この言葉とし
国東の食環境(102)
今の日本社会において年収300万円では,なかなかうまく暮らしていけない,これが特徴であり,生活困難の方々が数多く出現している,まことに困った状況です. おそらく,日本働く人々の平均年収は400万円を切ってきたのではないでしょうか. 昨年1年間で,実質賃金が5%
私のマイクロバブル生活研究(1)
しばらく中断していた「私のマイクロバブル入浴研究」を復活再開したいと思います。 じつは、このシリーズは、100回を迎えて記念の記事をいくつか書かせていただいた状態で終わっていました。 これをそのまま引き継いで回を重ねようか、それとも、何か新しい要素も含めて
2015年から2016年へ(2)
昨日、今年の正月を賑わしてくれた3人の孫たちが甲府へと帰っていきました。 昨年12月における12日間、そして今月の10日間、合計22日間にわたる付き合いとなりました。 この間、もっとも顕著に成長したのが今月末で1歳となる一番下の妹でした。 言葉を発する
お別れコンサート
本日は、柔らかい陽ざしが射し込む温かい冬日和です。 国東では、すでに花粉とPM2.5が飛び始めたのでしょうか、そのために咳が出て、やや頭が重くなっていたために、昨夜はマイクロバブル入浴を控えました。 代わりに、今朝早く、いつもよりも入浴温度を1℃上げて40
早めの節分
昨夜は、我が家で早めの節分の「豆まき」がなされました。 というのも、孫たちが明日になれば帰ってしまうので、帰る前に恒例の行事を済ませてしまおうと家族が一致したからでした。 節分の豆まきといえば、幼い頃のことを思い出します。 当時の我が家には掘りごたつが
国東の食環境(101)
先日、インターネットの動画サイトを見ていたら、ある著名な政治家が、次のような指摘を行っていました。 あるテレビ番組で、年収300万円の方が、どのように暮らしているかをフランス、イタリア、日本で比較するというもので、その結論は、前二者では、結構暮らしていける
ブログガイダンス(27)
新しい年を迎え、みなさまにおかれましては、ご幸福の正月をお過ごしのことと思われます。 どうか、今年もみなさまにとって、楽しくて、ゆかいな1年でありますように祈念いたします。 さて、昨年は、年の瀬を迎えるなかで、とんとんと、うれしくて素敵な出来事がいくつか
奇跡の白備前(3)
巨大な85ⅿの登り窯で焚いた薪は、その主力の赤松の老木で10トントラックで400台分、約30年をかけて、この薪が集められました。 この赤松に加えて、3mの長さの檜の板と竹のそれぞれも大量に用意されました。 これらは、横穴から投入され、左右の温度バランスを取るとと
その後のしらたまちゃん(16)
あの「しらたまちゃん」が、正月元旦から里帰りしていて、今年は賑やかな正月になっています。 というのも、もうすぐ3歳と1歳の妹たちも一緒ですので、俄然、我が家が明るくなっているからです。 おかげで、その後のしらたまちゃんとその姉妹たちに接し、詳しく観察する
私の新東京物(2300回記念)(6)
小津映画の「東京物語」では、主人公の夫婦が実家の尾道に帰ってから急展開を遂げます。 せっかく育てた子供や親しかった友人たちとのいいようのない断絶、隙間を感じた夫婦に待ち構えていたのは、その妻、子供たちにとっては母親の急逝という思いがけないことが起こって
奇跡の白備前(2)
本日は、5時過ぎに目を覚まし、午前7時20分からのNHK放送を視聴するための心の準備をしていました。 途中、放送時間まで少し時間の余裕があるなと思って、新聞を持ってマイクロバブル風呂に入ってしまいました。 --- 放送時間まで30分しかない。これでは、放送開
奇跡の白備前
明日(1月3日)の朝の7時20分より40分間、岡山県の備前焼き作家の森陶岳先生による85ⅿ巨大窯に関するNHK放送があります。 苦節30年の準備によってこの巨大登り窯で焼かれた作品が初めて披露されます。 番組のタイトルには「奇跡の色」という言葉が入れられていました。