マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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2012年07月

そろそろ夏休みの頃でしょうか、麦わら帽子に虫かご、これが小さい頃のスタイルでした。 ようやく梅雨が明けて夏らしくなってきました。長い梅雨で、九州地区は大変な豪雨と災害でした。 1時間に100mm前後の雨が降り、その水がどっと川に押し寄せてくるのですから、簡単

松陰は、声の方を振り向くと、そこには、わが目を疑う方が立っておられた。 「寅次郎、久しぶりじゃのぉー。いろいろと苦労かけるのおー」 その声の主は、毛利敬親公自身であった。 「殿が、どうして、ここに、・・・・・・」 松陰は、驚きのあまり、声が出なくなっ

昨日は、宵闇迫るまで、屋外にリビングがある家の中庭で心ゆくまで語り合い、それが、場所を移して夜遅くまで続きました。 幸いにも、この日は午後から晴れて、この屋外での語らいがうまくできました。本日の朝からの雨を考えると、この半日の晴れ間には、ちょっとした幸運

論語の中に、「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」という用語があります。親しい朋が遠方より来て、酒を酌み交わしながら、楽しく語る、人生において、こんなよいことはないという主旨のようです。 昨日は、その朋が遠方より、以下のルートで来られました。 羽田か

荷物の中から出てきたもう一つの資料はH君のものでした。彼とも、忘れることができない思い出があります。 たしか、彼が高専1年生の頃だったと思います。当時、私は剣道部の顧問教員でして、学生たちと一緒に放課後は剣道で汗を流していました。 こう見えても、剣道は小

本日は、大分市内でマイクロバブル研究会の第1回が開催されます。これに出かける前に、少し時間がありそうなので、本ブログの執筆を行うことにしました。 これは、先日も案内させていただいたように、6月6日の大分高専でのセミナーの反響が小さくなかったことが直接の契機

その後、N君は、立派に卒業研究をやり遂げ、N大学に編入学し、大学院修士課程までいって大手建設会社に就職して、風の便りでは、活躍されているようです。 あの茶色の髪の毛の時、あのまま高専を退学しておれば、彼の人生はまったく違う方向に流れていったでしょう。 後

昨日、朗報が届きました。山口県岩国市の村重酒造の「錦」が、モンドセレクション最高金賞の四連覇を果たしました。 酒造業界の不振が続くなかで、大変な快挙といえます。 また、この四連覇は、アルコール部門でサントリーのザ・プレミアム・モルツの最高金賞3連覇を超え

引っ越し荷物を整理している際に、昔の学生の卒業研究の資料が出てきました。彼らの名は、N君とH君でした。 いずれもよく記憶に残っている学生で、その時のことを思い出させるノートやデータ、それから卒業研究の草稿などの数々でした。 今となっては、思い出を探るだけ

両子寺の石垣には純白の紫陽花が咲いていて、早朝の誰一人としていない静かな境内で、それをしばし見惚れていました。 最近は、入館料がいるのでしょうか、その入り口の門は閉まっていました。ここでも、その入り口にあった案内を読んでいると、小さな犬がやってきて、「ま

高杉晋作は、革命家であるとともに、「科学的な」現実主義者でした。 晋作が、革命家であり、現実主義者であったことについては、司馬遼太郎の見解ですが、それに、「科学的な」という用語を付け加えさせていただきました。 この2つの資質は、晋作の上海行きで開花し、そ

翌朝早く、周布政之助がやってきた。昨夜とは打って変わっていかめしい顔つきをしていて、にこりともしなかった。 建て前と本音が違う、この男は根っからの長州人だったので、それも無理からぬことであった。 松陰は、その仏頂面の周布を見て、おかしさが込み上げてきた

梅雨の合間の曇り空、いつものように早朝散歩に出かけてみましたが、途中で引き返しました。少し足を延ばしてみたいという思いが募ってきたからで、車で出かけることにしました。 初の早朝散歩の遠出となりました。 「さて、どこに出かけようか?」 こう思いながら、カ

佐伯名物「ごまだし」の材料には、鯛、ぶり、エソ、イワシ、アジなどいろいろな種類があり、どれを買えばよいのか迷いました。 また、自慢の味を競い合っているのでしょう、いくつもの商品があり、そこからどれを選ぶかでも困ってしまいました。 おそらく、これから何度

「おう、周布か、元気でやっていたか?」 「何を、いっちょるか!お主に、心配されることはない」 こういい合いながら、互いの表情を見つめ合って、松陰と周布は安心した。幼いころから明倫館で机を並べて育った仲であった。 周布が、野山獄の松陰を訪ねてきたのはある

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