マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」 イメージ画像

2012年06月

しっかり歩くようになり、言葉も覚え始めた「しらたまちゃん」のことを、しばらく書いていませんでした。 最近は、アウトドアが好きらしく、とくに、自宅の庭につくられた小さな砂場を気に入っているようです。この砂はおじいちゃんとおばあちゃんからのプレゼントだそうで

「塩トマト」と呼ばれるトマトがスーパーで売られていました。なんとなくおもしろそうでしたので、それを買って食べてみることにしました。 甘く、おいしいトマトでした。しかし、皮が硬く、口の中に皮の部分が残りました。 それで何となく気になって、インターネットで

「今朝は、あまり臭いがしないな? それにしても昨日はひどかった」 いつのまにか、「人間臭いモニター」といいましょうか、散歩の際には、この臭いのことを気にしながら歩きます。 先日は、この臭いの素を発している場所を視察し、その原因を突き止めました。 なにし

最近、屋外にリビングがある家では、午後3時を過ぎる頃から日陰になり、西陽がまったく射しません(建物が遮蔽しているから)。 おまけに、ここちよい風も吹いてきますので、この半アウトドアで仕事を行うことが、これからいよいよ定番になりそうです。 また、夕方になる

しばらく、御無沙汰をしていました。ブログの執筆活動を再開します。 本日は、快晴、やや夏の気候のようになっていますが、風も東北の方から吹いてきて、心地よい午後の一時を過ごしています。 昨年一関駅で購入した小さな南部鉄の風鈴が荷物の中から見つかり、昨日から

先日、この記事をほぼ書き終えて、「ほっ」と一安心をしていたら、いつの間にか、パソコンの画面が凍結して、少しも動かないようになりました。 これまでにも、このような現象を体験したことがありますが、この時は、高杉晋作論について、いつもよりはよく書けたような気が

時は1854年、ところは、浦賀沖に停泊中の黒船の中、日米の主役は、吉田寅次郎とペリー提督(後のアメリカ国防長官のペリーは、この提督の子孫であった)。 たがいに譲らぬ大議論を行っていた。この議論の最初の頃は、映画「蒼天の夢」で再現されている。 「あなたは、攘

久しぶりに、夢シリーズを書いてみようかと思いました。今回のシリーズの主人公は、「寅次郎」さんです。 寅次郎といえば、みなさんは、すぐに、車寅次郎さんのことを思い浮かべると思います。 たしかに、「寅次郎の夢」というサブタイトルのシリーズはないものの、第24

四周年記念として取り組むことの最初は、マイクロバブルとマイクロバブル技術の体系化の仕事でした。 これについては2つのセミナーを5月と6月に開催して、その作業がいよいよ始まったように思います。 これからも、この実践型で、進めていくことが確実な方法かもしれませ

昨日、マイクロバブル技術セミナーが開催され、無事終了しました。参加者は60名弱、みなさん、真剣に聞かれていたことが強く印象に残りました。 地元大分での、このようなセミナーの開催は初めてのことであり、私も、45年ぶりに故郷に帰って来て、恥ずかしながら、「大分県

もう梅雨入りしたのでしょうか。一日中雨が降り続けています。 我が家のつくり方のせいでしょうか、いろいろなところから雨音が聞こえてきて、雨が降りはじめると、そこら中がにぎやかになります。 風が吹いている場合には窓も開けられませんので、閉ざされてしまいます

いろいろと調べているうちに、日本の製造業は大変な岐路に差し掛かっていることを知りました。 大手電機産業において、工場閉鎖、商品作りからの撤退、そして大幅人員削減という事態が報じられていますが、その背後には、世界的規模での相次ぐ敗退があるのですね。 今や

ようやく論文を書き終え、次の論文へと休むことなく移り始めました。頭というものには慣性があり、ひとたび動き始めるとなかなか止まりません。 じつは、今回の論文よりも、それ以前の方の慣性が残っていて、そのなかに、今回の論文が割り込んできたという具合でした。

このところ、数日間、籠って原稿書きを続けています。このモードに入ると何もかもが止まってしまい、本ブログの執筆も、その影響を受けてしまいます。 いつも、さらりとかっこよく書けるとよいのにと思っていますが、実際はそうはいかず、時には時間をかけて執筆することも

「高杉晋作の人生を決定的に変えたのは上海行きであった」 このように、作家の司馬遼太郎は、『世に棲む日日』のなかで分析しています。 それは、晋作が何から何へと変化したのでしょうか。ここが非常に重要です。 何事も、目的がなければ、ただいたずらに、物を見て、

↑このページのトップヘ