マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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2012年05月

昨日は,地元の方々が訪問され,いくつかの重要な相談を受けました. そのひとつが,臭気問題であり,その本格調査と対策を検討することになりました. また,林業や水産分野においても相談を受けましたので,これから徐々に協働が始まっていくことでしょう. 地元を豊

先日のトマトのマイクロバブル育成は順調に進み始めました.いずれの水槽も溶存酸素濃度が相当低くなっていましたので,根ぐされが始まりかけていて,ほとんどの根が茶色に変色していました. 見るからに弱々しく,手で触ると,すぐにちぎれるほどでした. 「これは大変

無事,徒歩で仙台駅に辿りつき,13時26分発の「はやて」に乗ることができました.15時半には,東京で企業との面談が予定されていましたので,それに間に合うことになりました. この間,昼ご飯を食べていませんでしたので,駅のホームで弁当を買うことにしました.目当ては

講演とヒヤリングが無事終わりました.これで,昨年から実施してきた東日本大震災支援プログラム大船渡プロジェクトのほとんどすべてが終了したことになりました. 思えば,長い道のりであり,多くの方々のご支援とご協力をいただきながら,可能な限りの復興支援をさせてい

翌朝はやや天気が回復して雨模様はなくなっていました.予想していたよりも温かく,青葉が目にしみる季節で,この都市のよさが醸し出されていました. 早朝に入浴(残念ながら,このホテルでは携帯用のマイクロバブル発生装置が使用できなかった),朝食を済ませてから,集

昨日は.新幹線やまびこで14時13分に一ノ関駅に到着しました.すでに,地元高専のT先生がわざわざ出迎えに来てくださっていて,久しぶりの再会となりました. かれは,私が代表であった東日本大震災支援プログラム大船渡プロジェクトに参加してくださり,この活動を通じて

大分空港発の朝の便で羽田に向かいました.うれしいことに,しらたまちゃんも見送りにきて,楽しい旅立ちでした.別れ際,自分も一緒に出かけたかったようで後追いを受けました. 飛行機のなかでは,隣の席に生まれて9カ月の男児がいて,なんとなく親近感を覚えました.

吉田松陰のことを,いろいろと勉強し始め,思いを「新たにする」ことが少なくありません.若くして,純粋透明に,あれだけの学問的研鑽と実践がよくできたなと感心しています. その松陰の思想に,前にも紹介させていただいた「華夷弁別」というものがあります.これは,野

マイクロバブルの科学と技術の体系化を行うことが,なぜ重要なのか.それは,それを現実に生かすとともに,将来に残すことに意味があります. マイクロバブルは未来材料であり,未来に生き続ける技術であることから,それは「未来技術」ともいえます. おそらく,100年,

4年前の5月7日に本ブログを開設しました.本日は,その4周年記念日にあたります. こうして長い年月にわたって毎日記事を更新できたのは,マイクロバブルとみなさまがたのご支援と励ましの声があったからこそであり,心より深く感謝申し上げます. この4年の歳月を振り返

ささやかですが,私の松陰研究が徐々に進み始めました. すでに,4冊の本を読み,2つのDVDの映画を拝見しました.これらを視聴し,吉田松陰の人物像や歴史的背景などを幾分理解し始めたような気がしてきました. なかでも,『世に棲む日日(一)』司馬遼太郎著では,

今日は「こどもの日」,里帰り中のしらたまちゃんにとってはめでたい日です. それから,本日は,もうひとつ,重要な記念すべきことがあります.全国に散りばめられた「原発」のすべてが停止され,日本列島のすべての地域に安らかさが漂っているような気がします. それ

マイクロバブル技術・国東セミナー  日時:2012年5月26日(土)13時~27日12時 場所:㈱ナノプラネット研究所研修室(大分県国東市武蔵町向陽台12-3) 大分空港から車で4分のとろにあります.JRの場合は,杵築駅下車になります. 主催:㈱ナノプラネット研究所(電

昨日は早朝から雨模様.地元のセンターに,マイクロバブル関連の機器を移送しました. 先月以来,装置および計測機器の移送を始め,徐々に,それが進行しています.まもなく,このセンターにおいてマイクロバブル技術研究の一つの整備が開始される予定です. なにせ,装

真鯛と一緒に買ったのが「銀たち」と呼ばれる太刀魚でした.おそらく,その体表面がやわらかで銀色をしているからでしょうか,このような太刀魚を見たことがありませんでした. それから,それを刺身で食べられることも知りませんでした.九州の熊本の南部では太刀魚の鮨が

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