マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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2012年04月

引っ越し作業も、やや下り坂になり、落ち着き始めました。しかし、それは私の書斎兼寝室を除いてのことであり、この空間は、まだしばらく時間がかかりそうです。 というのも、いまだ未到着の分が、現在の書斎に収まっている量の2倍ほどもあり、さて、これをどうしよかと頭

「屋外にリビングがある家」にややなじんできました。私としては、初めての持ち家ですので、新鮮な感じを持ちながら、そして、やや戸惑いながら、新しい家をどう理解したらよいのかを考えながら過ごしています。 最初に強い印象を覚えたのは、よく風が吹いてくることでした

吉田松陰について勉強をし始めてから、最初に吃驚(びっくり)したことは、野山獄において、ものすごい知的活動を行ったことでした。 その証が、年間の読書量500冊、執筆量数十編などに現れていました。このペースが、松下村塾でも継続され、松陰は、当時の知的インテリゲ

この3日間、東日本大震災支援プログラム大船渡プロジェクトに関する2つの報告書づくりに没頭していました。 先月末からの引っ越し作業が、まだ続いているなかで、頭の中が、そのモードになれなかったので、どうしようかと追い込まれていました。 そこで、何とか書き始め

4月11日の午後から、国東下村塾の開講式が行われました。 この日は、オープンネット建築士さんたちが、「屋外にリビングがある家」に集まって勉強会を開くという話があり、これに合わせて私も講演を2時間行う予定でしたので、このイベントと開講式を一緒に行うことにしまし

明日4月11日13時より、国東下村塾(くにさきかそんじゅく)の開講式を行います。 場所は、大分県国東市武蔵町向陽台にある「屋外にリビングがある家」、すなわち、㈱ナノプラネット研究所の研修室です。 冒頭の開講式に続いて、記念の講演を2回にわたって各1時間ずつ行い

引っ越し作業も徐々に治まり始めてきました。こちらに来て1週間が過ぎ、久しぶりに早朝散歩に出かけました。 早朝散歩にしては、すこし遅い時刻だったからでしょうか、すれ違う人もほとんどいなくて、向陽台の団地のなかを一人歩いて抜けて行きました。 そして、西側の高

ふしぎなもので山口の地を去ろうとして、気になり始めたことの一つが、吉田松陰と高杉晋作のことでした。 周知のように、吉田松陰が、野山獄に幽閉されていた際に開いた塾が松下村塾であり、松陰は3代目の主宰者でした。 松陰は、わずか1年余の塾の開講によって、高杉晋

「心が満たされる島」づくりの基本は教育にある、これが総合振興計画において最初に示されたことです。 優れた資質と感性を有する子供たちを育て、青年から大人へと立派に成長していくことは、とても大切なことです。 豊かな島の自然と歴史を生かした、そして、優れた人

いまだ引っ越し荷物の中での生活ですが、それらが徐々に収まるところに収まり始めて、新たな生活空間が形成されています。 ここは、国東半島の南側、大分空港から北に車で5分のところに位置し、小城山麓の高台を造成した「向陽台」という団地にあります。 今朝は、小城山

4月の初旬を迎えて、この日本の地中海である国東地方では、桜の花が咲匂う頃となりました。明日あたりは、そろそろ満開ではないでしょうか。 裏山の頂には桜の木が植えられているそうで、時間があれば上ってみたいと思っています。 聞くところによれば、山頂からは、別府

今、振り返ってみますと、3月29日~31日が、今回の引っ越しの山場でした。 この山を越えるために、夜の食事後も作業を続けたことが、最初の打開となりました。 そのために、夜の食事においてはスタミナをつけるように配慮しましたが、その割には、あまりおいしく食べるこ

国東市(くにさき)での新しい生活が始まりました。 国の東(さき)、すなわち、国づくりの始まりの地にふさわしい土地柄であり、歴史的には、1800年前から高僧たちが学問を行い、修業を重ねたところが、この国東なのです。 この地域の伝統を、21世紀初頭の現代において

昨日より、「屋外にリビングがある家」に住み始めました。なにせ、初めての我が家ですので、この新空間をどのように理解し、認識したらよいのか、戸惑いながらの生活が始まりました。 いまだ未完成の部分もあり、それを大工さん、左官屋さんらと協議をしながら仕上げていく

予定通り、徳山港12時発の周防灘フェリーで長年住み慣れた周防の地を離れることになりました。 本日は日曜日で晴れ、朝から実験室と研究室の最後の清掃を行うなか、それでも何やかやとあり、昼の弁当を買う時間もなくぎりぎりセーフで乗船することができました。 周防の

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