マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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2011年11月

この数日来、締め切りの原稿がいくつかあり、それに没頭していました。人間の頭というものは不思議なもので、何を書こうかと真剣に考え続けていると、それようの頭になってしまいますね。 なんだか、日頃とは異なる頭になってしまって、それだから、円滑に筆が進むようにな

昨日の早朝散歩の帰りに、災難が起きた現場に立ち寄りました。それは、事故原因を解明するためでした。 「なにか、小石があったのか、それとも道路の一部が盛り上がっていたのか、なにか原因があるはずだ」 科学者として、その究明をしたいと思うことは自然のことです。

「災いを転じて福となす」、日本人が好きな諺(ことわざ)のひとつです。 この諺に因んだ最近の話を紹介してきました。この場合、災いは、暗いうちから出かけた散歩の途中で思わず転び、手足と顔を道路にぶっつけて血を流したという話です。 同じころ、K1さんは、はる

K1殿 お互いに歳を取ると意外なことが起こってしまいますね. 同じように転んで顔を怪我し,そしてマイクロバブルで慌てて治す,これで一件落着となるのですから,これは,相当な「マイクロバブル人」同士の物語といえます. それにしても,大事がなくてよかったです

いまだ,転んだ時の手足の傷が癒えず,痛みも残っているので,同じように,つまり,同じ時間帯に起きて,風呂に入り,散歩に出かけようか,「今度は転ばないぞ!」と思いかけましたが,その決行は実現しませんでした. 優柔不断にも,あれこれ考えているうちに,朝が明けて

昨日は、昨年あたりから急に親交が深まったKさんが相談に来られました。山口県下のある企業のことで、どのように抜本的な改革を行うかで、どう知恵を絞るのかの問題でした。 その話が終わった時点で、雑談をしばらくしていると、本ブログのことが話題になりました。もちろ

8月3日に、合計で104機のマイクロバブル発生装置を設置して、大量のマイクロバブルを発生させてから、本日で114日目を迎えました。そのマイクロバブルの総発生量は、じつに約32800立方メートルという膨大な量になりました。 100分の2~3mm程度のマイクロバブルが、このよう

「俺が、たしかに倒した小次郎が死んでいない? そんなはずはない。 あの時に、俺は小次郎の脳天に渾身一滴の一撃を与えた。その一撃の音? たしかに、いつもの、ぐさっという音ではなかった。 小次郎のツバメ返しの剣を咄嗟に逃れるために、あの時、左手を前に出した。

「大分の土地に家をたてようか」 この提案に、家内はすぐに賛成しました。そのころから、彼女は家づくりに関心を持ち始めて、いろいろと資料を集めて検討を開始していました。 その中には、山中省吾さんらが果敢にも発行されていた「イエヒト」も含まれていて、私も、そ

昨日、教え子で、本ブログの愛読者のMさんからメイルをいただきました。 彼は、マイクロバブル関連の情報を集めていたところ、「オープンネット」の「実況中継」なるものに出会ったそうです。 「ここまで来たのなら、家のことを書かせていただこう!」、こう思い始めまし

しとしとと小雨が降るなか、「散歩に出るかどうか」で迷いながら一日を過ごしてしまいました。風も冷たくなり、紅葉とともに、こちらでも秋が深まってまいりました。 公園では、すっかり落ちた銀杏の葉の清掃が始まり、これが片付くころには師走になってしまうのでしょうか

「マイクロバブル人」に続いて、シリーズもの第2弾となったのが「夢シリーズ」でした。 「夢」とは、なかなか都合のよいもので、実現できない世界のことでも夢として描くことができます。 それから、現実に起きてしまっていることでも、それを近未来に起きることだとやや

大船渡湾の海底には、至ることろにヘドロの堆積がありました. しかし,このヘドロの堆積が広島湾や陸奥湾のような無酸素水域の大規模な形成をもたらすことになっていませんでした。 それは、大船渡湾が優れた地理的および海洋環境を有していることが影響しています。

早々に朝食を済ませ、お馴染みの実験場である大船渡湾蛸の浦に到着しました。 早速海を覗くとやや濁っていてました。Sさんに、その訳を尋ねました。 「海が少し濁っていますね。最近、雨が降りましたか?そのせいですかね?」 こう尋ねると、やはり雨があり、昨日から

昨夜遅く、新幹線で周南市に帰ってきました。やや長い旅でしたが、意外といろいろな展開があり、充実していました。 それから、今年の春以来取り組んできた東日本大震災支援プログラム大船渡プロジェクト(JSTOP)が終盤に差し掛かり、小さくない山を越え始めましたので、

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