マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ、国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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2010年10月

商工会議所の事務局長さんとはいろいろな話をし、「竹の第」というおもしろい「おでん屋」のおやじがいることまで紹介させていただきました。 事務局長さんのご理解とご厚意で、商工会議所のネットにも今回のフォーラムの案内を流していただけることになりました。 次に

どうやら台風は過ぎていったようですね。台風襲来に備えて片づけを行い、ついでにいろいろな整理もさせていただきました。 こうして、夏の名残りがあるものを整理しながら、「この夏から秋にかけてのことは何であったか」を振り返らせていただきました。 おかげで、いろ

リメイクされた松本清張作の映画『ゼロの焦点』を見させていただきました。前作は白黒で、配役も違いっていましたが、それに劣らぬ迫力がありました。 この小説に触れたのは、私が大学四年生時でした。同じ研究室にいたI君が、清張の大フアンで、ちょうどそのころに売り出

マンデラ大統領が追及したことは、国民の持てる力をいかに最高に引き出すか、という命題でした。 それまでの政権を引き継ぎ、アパルトヘイト(人種差別)を止め、民族の解放の仕事をいかに成し遂げるかを考えたときには、その命題を追求することが一番の方法だったのでした

昨日の夜、大阪から帰ってきました。日曜日の午後から出かけていましたので、2泊3日の小旅行となりました。 今回は、大阪の南の方にある大学を訪問していましたので、その宿泊基地となるホテルは、天王寺に予約されていました。 この地名にもあるように、お寺が多く、ま

ボッシュは、いくら考えてもよい考えが浮かばず、途方に暮れていました。 中心人物のボッシュがそうですから、ほかの社員も同じで、その状況をブレイクスルーするようなアイデアを生み出すことはできませんでした。 あるとき、ボッシュは、考えながら街の中を歩き続けて

このところ研究補助金の申請書ばかりを書く日々が続いています。どこの大学でも同じだそうで、研究費を確保しようとすると、自ら、その努力をしなければならない時代がやってきているようです。 これを「競争的資金」とか、「外部資金」とかいうそうですが、それを若い時か

探し続けている『セレンディピティ』の本は、いまだに見つかっていません。いったい、どこにいってしまったのでしょうか。 日常は、狭い行動範囲ですので、どこかにあるはずですが、それが、これだけ探しても見いだせないのですから、それには、特別に見いだせない理由があ

今朝は暗いうちから目が覚め、これを「条件反射」というのでしょうか、すぐにパソコンに向かいました。メイルの確認、ブログ記事の修正を終えたところです。 本日は、午後に東京から来られた企業の方と面会、明日からは、大阪出張を予定しています。 また、来月からは、

フランスとの国境近くにある南ドイツのカールスルーエ大学にいたハーバーの夢は、ベルリンの国立ウイルヘルムカイザー研究所の教授になることでした。 そして、自らはユダヤ人でありながら、ドイツ帝国に尽くし、それを認めていただくことに心血を注ぎます。 その第一の

私の田所博士研究も、最後の方になってきました。 おかげで、「科学者は何をすべきか」、また、「その資質として何を持つべきか」、それらが、この歳にしてですが、ようやくはっきりとわかったような気がしてきました。 さて、小説の作者は、田所博士をして、マスコミを

本日は、遠くからお客さんを迎えることになっていましたので、昨夜から、その準備に夢中になっていました。 「論よりは証拠」といいます。実物で、マイクロバブルの凄さを味わっていただくのが、なによりも説得力があることです。 そこで、昨夜はあわてて準備をしました

マンデラ大統領の発した第4の「ひらめき」は、それとなく進行、実現されていました。 南アフリカのラグビーナショナルチームであるスプリングボッカスは、そのワールドカップの初戦でオーストラリアチームをみごとに撃破します。 そのお祝いがなされ、翌日は軽い練習が

昨日は、日曜日でしたが、久しぶりに一日中仕事をさせていただきました。その前の日の土曜日は、これまた一日中、ある課題を考えながら、調べものをしていました。 こういうときにインターネット情報は非常に便利であり、その基礎情報や必要情報がある程度集まりますので助

田所博士の「日本沈没」は、彼の予測の通りに進行していきます。彼を中心にして、日本沈没の予測を行う「D‐1」計画が、当時の山本首相のもとで秘密裏に開始されました。 しかし、政府の中には、それを疑い、いぶかしる者がすくなくありません。そのおり、関東大震災をはる

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