マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」 イメージ画像

2010年09月

マンデラ大統領の「ひらめき」の第一は、ナショナルラグビーチームであるスプリング・ボッカスの主将、フランソア・ピナールをお茶に招待し、持てる力を最大限に発揮するためにどうしたらよいかを考えていただくことでした。 その第二は、ラグビー協会会長への直接の「依頼

  マンデラ大統領は、ラグビーチームのキャプテンとしての哲学や資質について、その本質的問いかけをしました。 そして、チームの一人一人を最高にやる気を出させるにはどうすればよいか、それについてもズバリ質問したので、ピナールは戸惑うばかりでした。 ますます

昨日、コメントが寄せられていました。重要な内容なので、ここでも紹介させていただきます。 そのコメントのなかでの質問事項は次のようなものでした。 「MBが発生していると白濁するとのことですが、白濁しないと発生していないでしょうか?白濁せずに発生していると

南アフリカラグビーチームであるスプリングボックスの主将フランソア・ピナールは、マンデラ大統領から「お茶」に招待されます。 大統領執務室に緊張して入ってきたピナールに対して、大統領は丁寧な気持ちでもてなします。 「ラグビーは、イギリスから受け継いだ重要な

娘から、「invictus(負けざる者たち,ラテン語)」の映画を勧められました。この映画は、南アフリカで初めて黒人大統領として選出されたマンデラ大統領の物語です。 彼は、約30年間牢獄に押し込められ、その間も不屈の(invictus)闘争を続け、最後には、民主的な選挙によ

本日は、連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の最終回の放送がありました。鬼太郎、鼠男などたくさんの人物とともに歩んできたという感慨を示すことで、このドラマは終わっていました。 そこには、自分の頭で、腕一本で、そして体力で勝負してきた主人公と彼を支えた奥さまの姿

今週、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が終わります。腕一本とアイデアで描き抜いてきた水木しげるとその奥さまの物語で大変迫力がありました。 貧しいときには、それこそ食べていくためにあらゆる知恵を絞ってマンガを描き、仕事が増えれば、寝る時間も削って描き続

映画『日本沈没』DVDの第二作を拝見させていただきました。第一作を意識されたせいでしょうか、随分、そのあら筋が変わっていました。 一言では、第一作が原作に忠実に描かれていたのに対し、第二作は、日本沈没をいかに阻止するかに焦点があてられていました。 田所

「お茶を、もう一杯いかがですか?」 こういいながら、いわむらさんの話がさらに熱を帯びてきました。 「あずきに、こだわってこられたのですね!」 「そうなんですよ。安い小豆を使おうと思えば、中国産のものを用いればよいのですが、私は、それをしてはいけない、高

ある若手教員と話をする機会がありました。 「最近はいかがですか、前の方がよく観えていますか?」 「いやぁー、なかなか観えずに困っています。しかも、徐々に観えなくなってしまっていますので、これでよいのかなといつも思っています」 この場合、観える、観えない

「山口県周南市のマイクロバブル博士に会いに行かれたのですね」 「はい,博士をはじめとして、みなさんとお会いすることができました。ところで、あなた方は、マイクロバブル博士の知り合いの方ですか?」 「ええ、マイクロバブル博士の奥さまとは、以前から親しくして

田所博士が指摘した2つ目の資質が「イマジネーション(想像)」です。辞書によれば、想像とは、「現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと」とされています。 この場合、日本沈没は、どのようにして起こるのか?、そして、それが起こることで、どの程度の災害がもた

『日本沈没』の上巻における最後の事象は、田所博士が日本沈没をD-1計画のメンバーに初めて予告したことと、それを想像させる「前触れ」として「東京大震災」が発生したことでした。 田所博士は、その予知の結論を、自らの「直観」と「イマジネーション」によって得ること

いわむらもみじ屋の長椅子に腰かけて、Mさんらは、熱々の焼き立て「もみじ饅頭」をいただくことになりました。 これは、実際に食べてみないとわからない味といいましょうか、店頭でこそ味わうことができるもので、なんとも言えない美味しさです。 「おいしい!」 M

 幼いころの我が家にはテレビがなく、もっぱらラジオが主役でした。NHK紅白歌合戦もラジオで聞いた記憶があります。 父親が好きだったからでしょうか、もう一つよく聞いていたのが、廣澤虎造の浪曲でした。そのうち、この浪曲が好きになり、「旅行けば、駿河の国の茶の

↑このページのトップヘ