マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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2009年04月

 「博士が愛したマイクロバブル」の第1部を書き終えて,すこしほっとしています.この執筆の動機は,映画「博士が愛した数式」のラストシーンで,寺尾博士とルート君(数学の先生となった大人のルート君,これは現実にはありえない)が浜辺でキャッチボールを楽しくしていた

 「私も,その精神力の強さを学ぶ必要があります」  ここまで読み進んで,「おや,何かが違うのではないか?」,「江夏の精神力の強 さをすばらしい」とはいっても,「それを学ぶ必要があるといったことがあっただろう か」,この疑問が湧いてきました.  江

 うれしいことに,寺尾博士から返事の手紙が届きました.私の博士に対する思い が通じたようです.博士は,もちろんのこと,「ルート」君も,それから彼のお母さん も,とても喜ばれていました.それは,ルート君とお母さんの勧めもあり,博士がマ イクロバ

 寺尾博士,あなたの記憶は80分間しか持続しませんので,あなたは,奇跡のような「江夏の21球」のビデオを見るたびに,その都度新鮮な感激を味わうことができます.そこで,小さな紙に「21ビデオ」と書いて,あなたの服に.その紙を貼っておきましょう.これで,あなたは,

 寺尾博士,あなたは数学者だから,マイクロバブルのお風呂に入ったら,どんなことを考えられるでしょうか.私なりに,そのことを次のように想像させていただきました. まず,マイクロバブルですから,その気泡のサイズを問題にされると思います.1マイクロメートルは,1

 新幹線の車中です.九州の小倉駅を過ぎて関門トンネルのなかを走っています. 本日は,急遽大牟田市に向かうことになりました.大牟田とえいば,草木饅頭と 鰻です.九州の鰻で有名なのは柳川ですが,ここでは「せいろ蒸し」をして鰻を食べ ます.「せいろ蒸し」と

 映画「博士が愛した数式」の主人公は寺尾聡さんが演じていました.作中の名前 がよく分かりませんので,ここでは「寺尾博士」と呼ばせていただきます. 以下,その寺尾博士宛の手紙です.  寺尾博士 殿 拝 啓 映画のシーンの一つにありました春風に桜が舞うこ

 昨日、大変嬉しい「知らせ」が届きました。暖かい風が吹いてきましたので、その 春風に乗せて、みなさまに、その朗報を届けさせていただきます。 昨年、8月19日のブログにおいて、山口県岩国市の村重酒造を訪問したことを書 かせていただきました。そのブログの

 神経解剖学者のジル博士は、数学者のお母さんの支援もあり、徐々に左脳の感 覚や機能を回復していきます。最初は、数字そのものが理解できない、そして言葉 そのものが発せられない状態でした。根気よく、数字の意味を教え、足し算、割り 算、掛け算と教え

 映画「博士が愛した数式」に出てくる「寺尾博士」と「ビュティフル・マインド」の 「ナッシュ博士」の両方に共通することは、数学の天才でありながら、ともに精神的 病に侵され、それが彼らの人生に重要な影響を与えたことです。そのため、彼らは 自分で生

 マイクロバブルが、この世に誕生したのは1995年ですので、それ以来、今年で14年が経過してきました。そのマイクロバブル発生装置の完成に至るまでに、10数年を有していますので、それらを合わせますと足かけ30年余の長きにわたる研究を続けてきたことになります。 「思え

 映画「博士が愛した数式」を観て、すぐに思い出したのが、映画「ビュティフル・マ インド」でした。これは「ゲームの理論」を考案したアメリカの数学者であるナッシュ さんに関する物語です。数学が好きな少年が数学を勉強するようになり、その学力 が認められて

  先日教え子のM君と会食したときに、「先生、ぜひこれを観てください」といわれて 渡されたDVDのひとつが、寺尾聡主演の「博士が愛した数式」という映画でした。 「この映画を観て、感動しました。涙を流しました。ぜひ、先生に観ていただきたい 映画です」 私は、

  先月末、K君が貸していたマイクロバブル風呂用装置を返しにやってきました。と ても表情がにこやかでした。これでお別れ、彼は京都の大学院に進学することに なっていますので、私としては彼に「贈る言葉」をいう立場にありました。  しかし、彼の表情が

 2月の終わりごろだったでしょうか。私の研究室の専攻科生のK君が、無事、修了 認定の発表会を終えて、その挨拶にやってきました。  「先生、いろいろありがとうございました。お世話になりました」  「そうだね。3年間、いろいろあったけど、最後に頑張ってよか

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