マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」 イメージ画像

2009年03月

 28日の朝に、Kさんと久しぶりに面談しました。Kさんは、このブログに、「マイクロ バブル人K1さん」として登場された方です。彼は、プロ中のプロのカメラマンであ り、そのたたき上げの精かんな風貌には独特のものがあります。 その彼と久しぶりに会ったのが約2

 二日間にわたる講演会を終え、長岡から東京へ再び向かいました。出発は昼過ぎでしたので、いつものように、好物の「柿の種(大粒)」、「笹団子」、そして富山の「ます寿司」を買って新幹線に乗り込みました。ます寿司は、生産地に近いからでしょうか、東京や名古屋で買う

 2日間の講演会を通じて、最も印象に残ったのは、2つの特別講演と3つの学生 講演でした。前者においては、この十数年間で約50名の専攻科生を国際学会で発 表させた重松先生の教育研究業績、そして全国的に時代に同調しながら発展し始 めている高専の今日的状

 昨日は、長岡技術科学大学で第1回土木学会全国高専学術講演会が開催されま した。私は、それを主催した責任者として、冒頭に次のように挨拶させていただきま した。  最初に、第1回の学会開催に、ご支援とご協力いただいた長岡技術科学大学に 深く感謝申し上

 ホジュンは、さまざまな妨害や迫害を受けながらも、宮廷医官としての信頼を増し ていきます。その理由は、皇族の病気を治すというほぼ「絶対的に近い医術」を身 につけていたからです。  いかなる権力や策謀も医術の前には無力であり、皇族の病気を治し、健康に

 今朝の長岡は、昨日と雨模様とは異なって快晴ですが、少し小雪が舞っています。 昨日は、15時過ぎに上越新幹線に乗り、日本列島を横断しました。新潟に近づくと周りは雪景色となり、長岡に着くころには雨が降っていました。まだ、こちらでは春が遠い季節なのですね。 夜

 WBCでの二連覇、若い方が集中して競い合う姿は、とても美しく立派ですね。とくに、「イチロー」の「辛さ」、「苦しさ」が「痛み」に変わり、そして最後で「笑顔になれた」という、苦悩から喜びへ向かう「ブレイクスルー」の実体験には素晴らしい感動がありました。彼のなか

 昼前に竜野を離れ、姫路に向かいました。姫路駅に集結したメンバーは、ある県 の産業創造担当者、高専コーディネータ、元市長、ある大手商社農業イノベーショ ン担当者、それに私たち2名が加わった6名の集団でした。 この6名の行く先は、㈱APJのマイクロバブル

 夜は、赤とんぼ荘からのすばらしい夜景を堪能しました。鶏龍山、揖保川、竜野 市街が静かに佇んでいました。 翌朝は、昼までに姫路に行けばよかったので、竜野市内を散策することにしまし た。まずは、赤とんぼ荘から降りていくと、お年寄りのみなさんが幾人か

 私たちが泊まった宿舎は、鶏龍山がよく見える向い側の丘の上に建っている国 民宿舎「あかとんぼ荘」でした。ここの8階が私たちの部屋であり、この景色の素晴ら しさに思わず見惚れてしまいました。また、その大浴場からは、赤穂の方に向かって 滔々と流れる揖保川

 兵庫県竜野と姫路を訪れていました。竜野は、歴史の香りが残る静かな街で、駅前には「童謡のまち」という看板もありました。哲学者の三木清、そして「赤とんぼ」の作詞者で有名な三木露風という反戦哲学者・詩人の出身地でもあります。それから、映画「男はつらいよ・夕焼

  私は、1994年10月からドイツ航空宇宙件研究所の客員教授として在外研究留学 をしました。もうずいぶん昔の話になりました。わたくし事ですが、その直前に母が 亡くなり、慌ただしく、その49日を済ませて単身旅立ったことを思い出します。私の 留学先は、ドイツ中

 温泉水温度の設定問題に続いて、ミニバブルの話になりました。近頃は、温泉のどこにも、このミリサイズの気泡を出す装置が設置されていますが、この効用について、次の意見を述べさせていただきました。 ①ミリサイズの泡は負電位がほとんどなく、泡としての効果はほとん

 岡藤社長、中村支配人との懇談は、さらに盛り上がっていきました。このなかで、 先にも紹介させていただいた先代社長の話がよく出てきました。そのかれは、ホテ ル建設と運営が順調に行くようになると、今度は健康食材の開発に凝るようにな り、「トトロの

 油谷湾の素晴らしい眺望を目の前にして、岡藤社長、中村支配人と温泉談義を 楽しみました。 まず、楊貴館のことについて尋ねてみると、このホテルの成り立ちから説明してい ただきました。この創業には亡くなられた先代の社長さんが大変ご尽力されたそう

↑このページのトップヘ