日本経済新聞の1月4日の社説に、「イノベーション加速が成長のカギだ(民が拓くニッポン)」の見出しがありました。

この見出しにつられて、めったに読んだことがない、その社説を読んでみました。

そこにおかしな「おもしろさ」があることに気付きました。

この内容は、本シリーズの主題に関係していることなので、その考察を試みることにしました。

冒頭には、「日本経済が少子化などの制約を乗り越えて成長力を取り戻すためのカギが
イノベーション加速だ」という、本社説の主題の書き出しが示されていました。

ここで私の目を引いたのは、成長のカギは「イノベーション」を生み出すことではなく、「イノベーション加速」だというのです。

これだと、イノベーションは、すでに起こっていることになり、それが加速していない、すなわち、動きが遅いか、停滞していることになります。

ある著名な経済学者は、日本経済を牽引する「成長エンジン」が今や無くなったと主張されていましたが、この見解は、この社説の内容とまったく異なっています。

イノベーションは、すでに起こっており、それを加速することができれば、成長は可能だ、これが社説の論者の主張です。

そして、「『失われた20年』といわれる日本経済だが、高度な技術基盤は今も健在であり、国際的な評価も低くない」と述べられています。

はたして、そうでしょうか。高度な技術基盤を有しているのであれば、産業競争力において30位近くまで落ち込んでしまっている日本の現状は回避できていたはずです。

また、そのような競争力の現状で、国際的評価をきちんと得ることができるのでしょうか。

論者は、国際的評価を受けている事例として、燃料電池車と超伝導リニアを示しています。

しかし、前者については、自動車業界が1990年代に海外移転を行っていることから、その生産と販売は、主として国外で行われることになります。

また超電導リニアが、成長のカギにはなるということにはならないのではないでしょうか。

そのことは、本論者もある程度解っているのでしょうか。次のように問題点を指摘しています。

「問題は、こうした優れた個別の技術がありながら、それをビジネスや現実の問題解決に結びつける力が弱く、世界にインパクトを与えるイノベーションがなかなか登場しないことだ」

これは、二番目のおもしろい「おかしな」見解です。

冒頭では、成長のカギは、イノベーション加速といいながら、こんどは、「イノベーションがなかなか登場しない」と断言していることにあります。

ここでは、論理的には、「なかなか登場しない」ではなく、「なかなか加速しない」としなければ、先の主張とは矛盾してしまうことになります。

また、この見解が正しければ(筆者は、正しいと思います)、冒頭の書き出しが間違っていることになります。

そこで、論者は何が問題かについて、次の3点を述べています。

 ①技術者や研究者の独りよがりを排して、現実のニーズから出発する。

 ②異質なものを混ぜ合わせる異種交配を行う。

 ③単なる技術革新にとどまらず、ビジネスモデルの革新を連動させる。

①では、技術者や研究者が独りよがりで、現実のニーズから出発していないという見解が背後にあり、それを最初に持ってきているが、果たして、それは正しいのでしょうか。

日本中の技術者や研究者が、独りよがりに本当になっているのでしょうか。

ほとんどの技術者は、会社の方針に基づいて研究開発を行っており、「独りよがり」に陥っているのは皆無に等しいのではないかと思います。

むしろ、独自の研究開発がしたくても、できない、そのような状況に置かれているのではないでしょうか。

研究者とて、現場のニーズに応えようとして、その研究開発の補助金申請を行うことが普通になっています。

そうしないと、その申請が採択されないことから、できるだけ、そのニーズに合わせて研究開発を行おうとしています。

ですから、この社説の論者は、あまりにも、それらの現状を知らずに、ある意味で粗暴な見解を示しているといわざるをえません。

現場のニーズに応えることは非常に大切です。しかし、それが十分に応えきれているか、これには、ご指摘の通りの問題が少なからず存在しているように思います。

それでは、何が問題なのか。先の「佐藤浩先生回顧」でも考察されたように、「実利研究」における「重要な何か」が問われているのだと思います。

ここは、「鋭く、大きな直観」を、この問題において働かせてみる必要があるように思います。

そうですよね、佐藤浩先生!

「そうだよ!」、このような先生の声が聞こえてきそうです(つづく)。