「焼き物は科学です」

これは、先日、訪問させていただいた瀬戸内市のX先生から発せられた名言でした。

職人の伝統伎の極致であった窯業にも科学が求められる時代がやってきているのです。

科学とは学問のことです。

この学問は、前世紀において飛躍的発展を遂げ、それが今世紀になってからはますます大きな展開を見せるようになってきました。

それは、空間を超え、やがて国境を超えて、世界中を猛烈なスピードで周回するようになりました。

利潤を求めて、儲けられる処があれば、それを探し周ることが普通になってきたのです。

しかし、ここで生き残るには、世界を相手に激烈な競争に打ち勝っていかねばなりません。

かつて、電機・電子製品といえば日本製が世界を席巻していたのですが、これが負け始め、いまや世界の第一線から大きく遅れる事態にまで陥っています。

それでは自動車はどうでしょうか。これも工場が相次いで海外移転し、国内での自動車生産は減少し続けています。

利潤を求めて海外に移転し、戻ってくるのは安い税金しかかからないお金のみです。そのために、企業には内部留保金が285兆円という巨大なお金が溜まっています。

そのため、企業は銀行から金を借りる必要もなく、そして何年間も国内で税金を払わないという状況が続いています(少し前に、トヨタ自動車の社長が5年間税金を払っていなかったと述べていました)。

こうして、国内には、かつて日本経済を牽引したエンジンはすべて無くなってしまった、こう経済学者が嘆くようになっています。

これでは、かつての「ものづくり日本」が泣いてしまいます。また「技術創造立国」という目標も掲げられてきましたが、これはどうなったのでしょうか。

果たして、技術の創造によって、新しい日本経済のエンジンを誕生させることはできるのでしょうか。

技術は、何を新たに創造するのでしょうか。あるいは創造すべきなのでしょうか。

ここは思案のしどころです。

また、その技術立国を支える教育は、どうあるべきなのでしょうか?

ここはよく考えて、その根本から、これまでの教育の目標を再検討すべき時期がきているように思います。

さて、この新たなエンジン探しは、どのようにしたら可能になるのでしょうか。

私は、これまでとまったく違って、私たちの足元に、それがあるのではないかと思います。

そうであれば、足元に湧く泉を掘れということになります。

この掘削は、一見困難なように見え、効率もよくないように思われがちです。

しかし、そのなかにこそ、「重要な何か」のヒントが隠されているように思われます(つづく)。
mebae-1
種から芽生えた若葉です。