本日は,ブログ書きが遅くなってしまいました.つい先ほど,帰宅して,やや疲れを取り除いてから,机に向かっています.

二度目の瀬戸内市訪問,とても長い一日でした.

というのも,朝5時起き,杵築駅から6時20分発のソニックに乗りました.まだ,辺りは暗く,列車のなかで日の出を迎え,幼き頃によく眺めた八面山に朝の光が当たっていました.

その後,小倉駅で,お土産に,湖月堂の栗饅頭を買って,新幹線「のぞみ」に乗り換えました.
一路目指すは瀬戸内市でした.

新幹線の中は,早朝便だったからでしょうか,割合空いていて,例によって,現在取り組んでいる論文書きの最後の方の草稿を認めることができました.

岡山駅には,9時13分に到着,改札口を出てすぐのところで,同じく東京から来られたK1さんとばったり会って合流,それから,本日の案内をしてくださるM2さんご夫妻とも合流して一同は瀬戸内市をめざしました.

この「登り龍プロジェクト」をM2さんからの依頼を受けて,K1さんとともに開始し,その後,これが実際に動き始めています.

本日は,つい最近になって,試験焼きをなされた結果がよく,その評価を行うことを目的にして,このプロジェクトのメンバーが集結したのでした.

前回の集結は11月2日でしたので,あれから約1カ月半が経過していました.

その2日の時に,私どもが持ち込んだ計測装置が,とてもよく,あるいは,新たな認識を得たといいましょうか,あるいは,その陶芸家にとっては驚きのことであったので,今度は,より新しい試験サンプルの評価を行おうというものでした.

その瀬戸内市の窯場に到着すると,なにやら,報道陣が二組待ち構えていました.車から降りるとすぐに撮影が始まりましたので,これは大変な扱いを受けてしまいました.

このような撮影をしていただいたのは,2011年8月の大船渡湾以来のことでした.

そこでさっそく,その陶芸家の応接室まで案内され,新しいテストピーストを眺めての詳しい検討が始まりました.

なにせ,これまで経験したことがないような新しいことが起きていたようで,陶芸家の先生が,そのサンプルを並べながらの説明にも意気込みがありました.

「これが,これまでの焼き方で焼いたものです.そして,これからは,その焼き方を変化させたものです」

このテストピーストは全部で6種類ありました.

その一つ一つの検討が始まると,その検討の議論が一気に高まっていきました.先生の意気込みとともに,

「ここが新しいところで,ここがどうなっているのかがよく解らない.そして,これはどう考えたらよいのか?」

などなど,それこそ,打てば響くの会話を延々と行い,その間中2つのカメラが回りつづけていました.

この放送局は,地元の民放と全国区の放送局の岡山支局の方で,この後者の方は小型の4Kカメラで撮影をなされていました.初めて見た4Kカメラ,あまりにも小さくてコンパクトであったことに驚きました.

しかし,そのうちカメラが回っていることも気にならなくなり,その陶芸家の先生と火花を散らすほどの意見交換をさせていただきました.

先生の方は,それこそ半世紀以上も陶芸をなされてきた大ベテランであり,逆に私の方は陶芸はずぶの素人です.

山口県の萩焼のことは少し知識を有していましたが,この瀬戸内市の焼き物のことは何もしらず,それこそ,ドン・キホーテのように,巨人に立ち向かい,当たっては砕けるしかありませんでした.

しかし,こちらにはマイクロバブルの科学に関する多少の知見がありますので,頼るはそれのみですので,それを後ろ盾にして,それこそ,何度もぶっつかっていきました.

ところが,ふしぎなもので,この衝突を繰り返していると,それが途中から同調し始め,「そうだ,そうだ! そうなのか!」と先生が頷きはじめるのですから,このドン・キホーテの猪突衝突も無駄ではなかったと思えるように雲行きが変化していきました.

これを「議論がかみ合う」といいますが,これがなされ始めると,俄然,今まで解らなかったことが解りはじめ,新しい世界がちらりちらりと見えてくるようになり,その度に話がおもしろくなっていきます.

こんな具合で,その検討会は2時間半,びっしり行われることになり,その間,撮影が断続的に繰り返されていました.

聞くところによると,どうやら,かなりのニュースと番組になるようで,どうりでカメラマンの撮影にも力が入っていると思いました.

まだ具体的な放送日は決まっていないようですが,数分のニュースのみで終わるような取材ではないようでした.

「これは只事ではない,一体どうなっていくのであろうか?」

私も,そのことに思いを廻らし始めたのでした(つづく).