「佐藤浩先生の『鋭く、大きな直観』の原点は、広島での被爆体験にあった

  これが、その後の人生と運命を変える起点になりました。

  「これは、あまりにも無残な殺し方ではないか。必ず、仇をとってやる!」

  「何糞、負けてたまるか!」

  これらの思いが、佐藤青年の心の底に深く焼き付けられ、その後の学問的精進に向かわせたのでした。

  私は、この「ながれだより」の第15号を目にしたときの驚きと感動を、今でも忘れることができません。

  「佐藤先生のルーツは、ここにあったのか! それにしてもすさまじい体験である。恐れ入りましたとは、このことか!」

  私の胸に、「この思い」がしっかり刻み込まれたことから、私は、その時のことを、何度も、直接佐藤先生に尋ねたことがあります。

  先生は、その都度丁寧に、そして、いつも、さらりと話してくださいました。

  おそらく、先生は、「何糞、負けてたまるか」という思いを心に深く刻み込み、それを、その後の学問的研鑽の糧にされてきたのだと思います。

 それが、あの鋭い洞察、幅広い視野、スケールの大きさの形成に重要な役割を果たしてきたです。

 もちろん、あの地獄のような体験をしただけでは、そのような人間の資質形成はできません。

 その後に、粘り強く、その信念を貫いて実践を行い、挫折があっても、幾度となく、その都度立ち上がってきたことで、そこに研ぎ澄まされた洗練性を身につけることによって、初めて、あの「鋭く、大きな直観」という資質が徐々に形成されていったのだと思います。

 その洞察は、2001年に出された下記の論文に示されています。

 「新世紀の流体力学は何を目指すべきか」、日本流体力学会誌『ながれ』、第20巻、pp.445-452

  この論文は、佐藤先生が東大名誉教授になって17年目に書かれており、定年退官後も、学問的精進をなされ、その到達点を広げていかれた成果が示されています。

 この本論において、佐藤先生の「鋭く、大きな直観」は、どのように発揮されているのでしょうか。

 次回においては、さらに詳しく、その世界に分け入ることにしましょう(つづく)。
20141126
我が家の庭に咲いていた菊です。