小松左京著『日本沈没』の上下巻を分けると、前者では、日本沈没の前兆を述べることと、その確かな予測を行うことが最も重要な内容でした。

そのために、田所雄介博士の登場と活躍が必要だったのです。

これに対し、後者では、日本沈没が実際に起こって行く様子を中心に展開されます。

そして、その上巻の終盤において、2つの重要な事件が設定されます。

そのひとつが、田所雄介氏の予測において「日本沈没」という、誰も予想しない結論が明確になったことでした。

2つ目は、東京直下型大地震が起こり、200万人という多数の犠牲者を生み出したことでした。

これから、日本沈没が本格的に起こるという現象を前にして、日本をリードしてきた政財界や学者のみなさんが、完膚なまでに打ちのめされた直下型地震でした。

さて、第1の問題では、田所博士の下した結論に対して、まず、D1計画を進める学者、技術者、役人間で、田所博士との論争が起こりました。

当然のことながら、彼らは、すぐに、その日本沈没という結論を、にわかに信じることができなかったのです。

もちろん、なぜ、田所博士が、日本沈没が起こるという、いわば確信に近い結論に達したことも、まったく理解することができませんでした。

そこで、日本沈没という、だれも予想できなかった結論に至ったかについての熱い論争が起きました。

とくに、そのスタッフ内に優秀な確率統計学者がいて、彼と激しく「やり合った」のでした。

それは、確率統計論では、有史以来、一度も起こったことがない現象である「日本沈没」を予測することは不可能だったからでした。

「なぜなのか? なぜ、日本は沈没するのか?」

それまでの常識では到底導き得ない「非常識」を確信するようになったのか、ここが論争の焦点でした。

「それはカンじゃよ!」

作者は、「カン」というカタカナ表現を用いました。これは、読者に、「感」と「観」を想像させるためだと思います。

そして、再度、この「カン」を「直観」と言い換えます。そして、ダメ押し的に、「鋭く、大きなカン、直観じゃよ!」と、その結論を田所博士にいわせています。

日本沈没というとてつもない新たな現象を発見し、認知するには、「鈍い、小さな直感、あるいは直観」では役に立たないのです。

つい最近、私たちは、これと同じ現象に遭遇しました。周知のように、それは、3.11の東日本大震災でした。




不幸にも多くの方々が命を亡くし、今尚、10数万人の方々が故郷を追われています。

もっとも「責任」を負わなければならないと、その人々の前で語った当事者や政治家の付近から、奇妙なことに、「未曾有」、「想定外」という言葉が発生しました。

あれだけの死者と被害を出しながら、だれも責任を取る方がいない、このことについて田所雄介博士は、どのように思ったでしょうか。

「絶対安全である。絶対安全なのが原発である」、こういって憚らなかった神話が、この3.11によって、もろくも壊れ、破たんしました。

それは、この事実を前にして、圧倒的に多くの方々が、「鋭く、大きな直観」を働かせるようになったからでした。

さて、この辺で、本記事の主題である「佐藤浩先生回顧」に戻ることにしましょう。

その主題について述べる前に、わざわざ、田所雄介博士の話を論じたことには、私なりの理由がありました。

それは、佐藤浩先生が、田所雄介博士と同じ「鋭い、大きな直観」の持ち主であった、という共通性を持っていたことを、単に指摘するだけにはとどまることができない「重要な何かがある」と思ってきたからでした。

その「重要な何か」は、田所博士が、「鋭く、大きな直観」を有するまでの学者としての人格形成に関係しているのだと思います。

このことについては、作者の小松左京は何も触れてはいませんが、このことが明確に述べられていたら、それによって数多くの学者が、その直観力を身につける重要性を認識していたのかもしれません。

田所雄介博士が、この手法を見出すまでには、おそらく、何度も厳しい現実の壁に出会い、それを突破(ブレイクスルー)しようとしては跳ね返され、辛酸をなめさせられたのではないかと思います。

苦労に苦労を重ね、耐えに耐え、そして落胆しても、勇気を持って、それをはるかに大きく跳ね返すことで、コツコツと磨いてきたのが、「鋭く、大きな直観」であったのです。

しかも、その彼には、その大切さを教える、あるいは学ぶ、強烈な体験的学習があり、それが学者としての重要な人格形成に寄与してきたのではないかと思います。

この日本沈没から、20数年後に、阪神淡路大震災が勃発します。この時は、作者の小松左京氏は存命でした。彼は、その地震予知の問題、学者のあり方について、相当深い考究をなされたそうです。

できれば、田所博士が、「鋭く、大きな直観」をどのようにして身につけていったのか、そのことを詳しく尋ねてみたかったですね
(この稿続く)。