小松左京著『日本沈没』上巻における主役は、地震学者の田所雄介博士でした。

すでに岩手大学を定年退官し、ご自分で地震研究所を切り盛りし、その予知に関しては、第一線の民間研究者となっていました。

しかし、生来のぶっきらぼうさに加えて、妥協を許さない見解を常に保持していたことから、いわば孤高の地震学者と世間からは見られていました。

この小説家にとっては、その田所博士に、「日本沈没」を科学的に予測させ、それを実際にみごとに的中させる必要がありました。

誰にもできないことを、ピタリと的中させて、日本沈没を現実のものしていく必要があったことから、その人物像をつくりあげるには、作者なりの苦労があったのではないかと思います。

それは、田所博士を、有名大学の学者や研究所の研究員との対比の中で描きながら、その優位性を証明していくのですから、その決め手を何にするか、これが日本沈没「上巻」における核心的問題になったのだと思います。

そこで、作者は、まず、それを小出しにして、「カンだよ!」といわせ、最初から「鋭く、大きな直観」という表現を用いないようにしていました。

読者にも、解らないようにして、それを、日本沈没に関する観測作業を進行させながら明らかにしていくのです。これは、心憎いほどの作者の演出だったと思います。

まず、田所博士の面接試験があります。

彼が、優れた科学者であり、その日本列島の異変を予測し、それに基づいて時の内閣による救国の学者になれるのか、その見極めがなされるのです。

その試験官は、当時の山本首相の影の強力な支援者であった、ある老人でした。その彼が、田所博士を面接し、それにふさわしい人物かどうかを試したのでした。

彼は、田所博士に、次の2つの問題を尋ねます。

 ➊自分の家に燕がやってこなくなったのは、なぜか?
 ❷科学者にとって、最も重要なものは、なにか?

このシーンは、最初の映画で、田所雄介を演じた俳優小林桂樹さんの名演がありますので、それを再現することにします。

まず、彼は、➊について、燕だけでなく、ほとんどの鳥の異変についてよく調べていて、即座に、その問題を詳しく解説しました。これで第一次の口頭試問は、すぐに合格しました。

そして最も重要で難しい、❷の質問に移りました。

これにも、田所博士は、「それは、カンだよ!」と即答したのでした。

意外な返事だったので、この老人は、もう少し説明が必要という顔をしていました。

これをすぐに見抜いて、傍に会ったテーブルの上の新聞紙をばりばりと破りはじめました。まっすぐではなく、何やら曲がりを有した破り方でした。

「この男は、いったい何をしようとしているのか?」

この老人は、そう思ったはずです。

そんなことは気にもかけずに、田所博士は、破った新聞の継ぎ目を併せて、こう言いました。

「今から約100年前に、ドイツのヴェーゲナーという学者がいた。かれは、ある日、世界地図を眺め1ていて、アメリカ大陸とアフリカが、その昔はくっついていて、それが、徐々に離れていったことを見つけた。これは大陸移動説といって、彼によって初めて究明されたことなんじゃよ!」

「これがアメリカ大陸で、こちらがアフリカ大陸だ! これが、このように離れていった」

彼は、破った新聞の裂け目の間隔を徐々に広げていきました。

「しかし、この彼の大陸移動説を、じつは、だれも信用しなかったんじゃ! そんなバカなことがあるかと、むしろ、気がおかしいのではないかと、変人扱いをされたのじゃ。そして、彼は、失意のまま死んでいった!」

「ところが、今では、どうであろうか。彼の大陸移動説は、誰もが知っていることである。その正しさは、実際の大陸移動の計測でも確かめられておる。今も、大西洋は広がっているのじゃ!」

「カンとは、このように誰も思いつかなかったことを見出す能力のことじゃ!」

田所博士は、こう老人に説明した後に、無言で、その会場(ホテルのレストラン)を出ていきました。

無論、この第二次審査も合格でした。

田所博士は、この老人によって、時の山本首相に推薦され、内閣調査室が密かに発動させた「D1計画」の学者代表に就任したのでした。

因みに、この「D1計画」とは、日本沈没の可能性を調査し、予測することを主目的にした計画のことでした。

田所博士は、深海探査船「わだつみ」に乗り込み、その深海の底の異変を観察し、とうとう「日本沈没」が間違いなく起こることを突止めたのでした(この稿続く)。


海の底