久しぶりに記念シリーズの記事を書くことになりました。それにふさわしいテーマはあるか、と自問し、即座に、「佐藤浩先生回顧」と決めました。

折から、日本高専学会誌に「日本高専学会における佐藤浩先生の足跡」という6頁ものの追悼文が掲載されましたので、これを踏まえて、より深く「佐藤浩先生の世界」に分け入ってみることにしましょう。

佐藤浩先生は、航空流体力学と乱流の世界的権威で、その発展に多大な貢献をなされた東京大学名誉教授でした。大変残念なことに、昨年11月に他界されました。

その後、遺稿集の編纂に関して、ご遺族からの連絡があり、その仕事を少し手伝わせていただきました。また、そのことが契機となり、上記の追悼の文書を認めさせていただくことになりました。

私は、この文書の中で、佐藤先生の特徴について次のように述べています。

「最大の特徴は、『鋭く、大きな直観力』の持ち主であったことにある。しかも、自然科学および社会科学の両面から複眼的洞察をおこなうことができたことから、物事を大局的に観て、ずばりと本質を見抜く力に優れていた」

「鋭く、大きな直観」、これは、研究者にとって、そして現代人にとって、とても大切なことです。

よく、人を例えて、「剃刀(かみそり)のように切れる人」ということがあり、また、その対極として「大鉈(なた)のように物を断つ人」と表現することがあります。

この場合、「鋭く、大きな」には、この剃刀と大鉈の両方を兼ね備えているという意味が込められています。

因みに、その反対は、「鈍く、小さな直観」になりますが、これを有しているのが凡人であり、この世に多く存在しています。

なぜかというと、この「鋭く、大きな直観」は、日々の研鑽によって鍛えることで初めて生まれてくるもので、それをしない限り、もともとは、みな凡人のままいるからなのです。

もう一つの重要な言葉は「直観」です。これは、「直感」とは区別されます。英語で表現すると、‘intuition’ になります。

この「観」は、「観(み)る」という用語としても使われています。また、「観察」の「観」であり、さらに、観音様(観音は、「観世音」の略)の「観」でもあります。

そして、この「観」には、物事を見ると同時に、その本質を考えるという意味が含まれています。

これらを踏まえると、「直観」とは、「直に見て、考え、本質を見抜く」という意味が込められているように思われます。

ですから、これは単なる「思い付き」や「ひらめき」ではなく、その本質をズバリ見抜く力ですので、そう簡単には身につかないことなのです。

実際に、物を見て、触れ、考え、粘り強く本質を見抜く訓練をすることによって、初めて、その洗練が可能になるのです。

佐藤先生の直観力のことを述べる前に、解りやすい、ある方の事例を紹介しておきましょう。

それは、元岩手大学教授の田所雄介博士です。この方は実在した人物ではなく、名著『日本沈没(小松左京著)』に登場する準主役です。

この大ベストでラーとなった
本が出版されたのは私が大学生の頃ですから、すでに40年余が過ぎています。

この小説の中で、「鋭く、大きな直観」の主として、田所雄介氏が登場し、「日本沈没」を予測し、それが事実であることを的中させます。

そこで、この田所雄介氏は、どんな人物で、どうして、日本沈没を言い当てたのでしょうか。ここが気になりますね。

次回は、そこにより深く分け入ることにしましょう(この稿つづく)。