内容の濃い「ロングインタビュー」が終わって、その余韻を残しながら、焼き物についての科学的検討が再開し、これもしばらく続くことになりました。
私としては、先日の初回の視察によって、何ができるのか、どうしたら、その科学的解明の糸口をこじ開けることができるのか、これをあれこれと考えてはきていました。
しかし、実際には、その現場で気転を働かせて、その知見を得ながら、それをどう生かすか、これが問われることになりました。
また、その解明には、切り札となるべき手段を用意することが重要であり、すでに述べてきたとおり、「スーパーファインサーモ(赤外線カメラ)」という温度分布を画像で示す装置が役に立ったのでした。
次は、土の問題ですが、これについては、かねがねお願いしていたサンプルをいただきましたので、これは帰ってから検討することにして、その場での検討はパスすることにしました。

3つ目は、千変万化して、できあがる焼き物の品質評価に関することでした。
これは、土と水、そして炎によって左右される表面科学の結果であり、その条件と環境によって、真に窯変するわけですから、それをどう実現させるかは、それこそ知恵と工夫の問題ともいえます。
しかも、これには、長い間に築かれてきた伝承、伝統の技術の要素の問題もあります。
先人の教えを学ぶ陶工にとっては、「なぜ、かくも素晴らしい作品ができたのか。それを、どのようにして造ったのであろうか?」を追い求めることが、自らの進歩を可能にする原動力になったのでした。
この検討においても、鎌倉、室町時代の古い焼き物のことが話題になりました。

「これは、手触り感がまるでちがいますね。なぜ、なんでしょうか?」

「古いものは、どういうわけか、しっとりしているんです」

こういわれ、みなさんも古の焼き物の破片を触って、そのことを確かめられていました。

「そうか、先人の造られた焼き物が、重要な見本と基本になっていたのだ。ここが原点なのだ!」

焼き物は素人の私ですから、ようやく、ここまで理解が進みました。
まずは、この基本となる焼き物に、どう科学のメスを入れるか、そして、そこから新たな世界を切り拓くか、ここに「重要な何かがあるのではないか」と思えるようになりました。

周知のように、焼き物は、その素地と、その上に塗る釉薬によって、いわゆる窯変を起こします。
これをヒトに例えれば、その素地が地肌であり、釉薬は化粧の効果ということができそうです。
当然のことながら、素肌がしっとりとしていないと、その化粧も成り立ちません。


そこで、この素肌を詳しく観察することが大切であることに気付きました。色も形も微妙に違うのが焼き物ですから、その素肌と彩を数多く観ていく必要があるように思いました。

こうして、この検討もあっという間に時間が過ぎ、辺りは暗くなっていました。

帰りの車中において、今回のことを振り返ってみて、わずかですが、何か、新たな究明の糸口をつかめたようで、心が少し温められたよう気分でした。

車は、瀬戸内市から、一路、福山をめざしていました(つづく)。