その後、甕の製作所の隣にあったM陶芸家の自宅へと移動し、そこでの長時間のインタビューが始まりました。

このインタビューは、おなじみのマイクロバブル入浴仲間のK1さんを中心に企画されたものです。

かれは、先日の見学の折に、M先生とその事業に大変な刺激と感化を受け、この偉大なプロジェクトに挑戦するM先生の姿を映像記録化し、それを後世に伝承するという貴重な行為を開始したのでした。

すでに、ミニヘリコプターを飛ばして巨大な登り窯の空中からの撮影の敢行や、山奥の水源地、そして土づくりの現場においても詳しい撮影を行ってきました。

もともと、このM先生お仕事については、これもまたマイクロバブル入浴仲間のM2さんから紹介をしてただき、それが縁となって、先日のK1さんと一緒にM先生を訪問したのでした。

これらの活動を踏まえて、K1さん企画のインタビューが実現されることになり、私も、そこに参加して協力させていただきました。

なにせ、この巨大な登り窯建設は、安土桃山から江戸時代の初期以来のことですから、まさに500年の時空を超えた一大事業の再生なのです。

しかも、その500年前は、当時の武家や大名たちの指示と商人たちの支援によって組織的になされた事業でした。

それに対し、このM先生の事業は、まったくの個人の力だけを頼りにして進められていることから、その意味では、それこそ史上初の民間による取り組みともいってよい大事業といえます。

インタビューは、この一大事業の準備が始まった26年前に遡って、それに挑戦しようとした動機を聞くことから始まりました。

当時の先生は、40歳代後半で、これから自らの人生において何か一つの柱を打ち立てようとしていたころであり、その重要な岐路を迎えたときでもありました。

その時、初めて任された大釜焼きの膨大な数の作品のなかから、わずか2つの焼き物が出現しました。それが起点になって、この途方もない、そしてだれも行ったことがない巨大な登り窯づくりに向かうという、いわば人生をかけた挑戦が始まりました。

そして、インタビューは、この26年間の周到で、しかし苦難に溢れた準備と仕事の話に移行していきました。

これらの話が、一々おもしろく、そこでの質問が集中してなされたことから、その話は深く、そして興味尽きない展開となりました。

約2時間半、その仕事のスケールの大きさと実践の緻密さに圧倒されながら、その魅力の深さに引き込まれながら、あっという間に、このロングランインタビューが終わりました。

真に、いつまでも余韻が残る貴重な体験をさせていただきましたが、とくに、最後に、先生がぽつりといわれた、次の言葉が私の脳裏に深く刻まれました。
「焼き物は科学である」
そして、これを反芻(はんすう)しているうちに、次の言葉に結びつきました。すでに、紹介を何度かしてきた私の好きな言葉です。
「人生は短し、学問は長し」
これを先生の焼き物に結びつけると、次のようになります。
「人生は短し、焼き物は長し」
ここには、巨大登り窯を前にした一人の陶芸家であり、陶芸科学者の500年、1000年の時空を超えた壮絶な闘いの場がありました(この稿続く)。
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延々と積み上げられた薪、10トントラック300台分だそうで、これでも、まだ足らないとのことでした。