私が、2012年3月まで務めた職場は「高専」と呼ばれるところで、その身分は国家公務員でした。63歳で定年となり、その後は会社に勤めながらも、その実態は年金生活者となりました。

おそらく、だれもそうでしょうが、年金生活者になってみて、果たして生活がうまくできるであろうか、給付される年金で生活が続けられるであろうか、と不安になるのではないかと思います。

おまけに、最近は、その年金が減るという話まであります。世間では、7年ぶりの株価高騰ということのようですが、少しも暮らしはよくならず、7割、8割の方々が、今の経済効果を実感していないというようになりました。

しかも、「生活難民」と呼ばれる方々が、田舎の限界集落のみならず、都会でも異常に増えてきたようで、圧倒的に多くの方々が自らの生活に困りはじめています。

私を含めて現代の高齢者にとっては、これから、10年、20年と長く生活をしていかねばならないのですから、その人並みの豊かな生計と心身の健康維持がとても重要になります。

今は、私たちが若い頃に働いていた時に抱いていた定年後の生活観とは、かなり違っています。

それは、しっかり定年まで働いて、後は、孫たちと一緒に自宅でゆっくり過ごし、人生を全うするというものでしたが、今日、そのような光景は少しも見えなくなってしまいました。

定年後といえども、10年、20年と第二の人生をしっかり歩む必要性が生まれてきたからです。

私も、その一人として、大分県国東市に、生まれて初めて自宅というものを建築しました。同時に、会社に勤めながらも、経済的には年金を主体にしての生活を始めました。

この国東での生活をしてみて、まず最初に驚いたことは、その生活物資の安さでした。なぜ、こんなに安いのであろうか、それまで住んでいた山口県周南市とはまるで違います。

こんなことで、地域のビジネスが成り立つのであろうかと、逆に、私が売る側の心配をするほどでした。

定年後の大きな心配事は、1)年金だけで生活が可能か、うまくやっていけるか? それが足らなかった場合にはどうしようか、2)しっかり働けるかの2つでしたが、この1)については、それがまったくの杞憂であったことが明らかになりました。

もちろん、2)についても多少の曲折がありましたが、その視座が定まり、そこからの新たな仕事の設計ができるようになりました。

そこで、ここでは、1)の問題をやや分け入って考察することにしましょう。

結論を先に示しておきます。それは、過度な生活をしなければ、十分可能であり、節約すれば、年金が余った分を逆に蓄えることすらできるようで、これは、今時、とても不思議なことではないかと思います。

おそらく、あのまま山口県周南市に留まっていたら、このような余裕は生まれていなかったでしょう。年金でかつかつの生活、それが将来の不安の増大に手を貸していたことでしょう。

「なぜ、こんなに違うのでしょうか?」

これは、人生を左右するほどの選択であり、とても重要なことですので、この生活事情を私なりにしっかり調べてみることにしました。

何事も、好奇心を抱くと、それをとことん調べてみたくなる、これが私の習癖のようなものですから、その目で比較を行うことにしました。

その比較においては、これまで住んでいた山口県周南市を基準にしました。周南市は、いわゆる大手企業がたくさんあって、山口県のなかでも比較的物価がやや高い(とくに、飲み屋の値段は山口県一高いといわれていた)ところだといわれています。

私がかつて買い物に出かけていたスーパーの魚屋さんの魚は、この地国東から運ばれていたものでした。

それだけ運賃や仲買の料金が加算されたものであろうと思っていたのですが、その訳が、こちらにきてようやく解りました。

要するに、魚の原価が安く、種類も豊富なので、それを海を渡って対岸に運んでもビジネスが成り立っていたのです。

しかも、瀬戸内海は年々魚が獲れなくなり、そのために瀬戸内海産の魚の値段が高騰していたことから、そこに入り込む余地があったのだと思います。

豊かな海であるはずの瀬戸内海で魚が獲れなくなって久しくなります。それが魚の値段に反映され、沿岸庶民の生活に影響している、このことが、かつて住んでいた周南市においても起きていたことだったのです(つづく)。
20130927したびらめ
大きな舌平目(れんちょう)、たしか800円程度だったと思います。