青侍は、いただいた「大きな蜜柑3つ」を紙に包み、それに縄をかけて棒で挟み、それを肩に担いで歩いていました。

すると、道の傍らに、高貴な奥方が倒れていて、今にも気を失いそうになっていました。どうやら「おしのび」の道中らしく、傍らには大勢の家来が控えていました。

この女性は、今でいう「脱水状態」になっていて、意識がもうろう状態に陥っていました。

「水が飲みたい!」

こう言い続けていましたが、あいにく周囲には水がなく、水や食料を補給する籠の部隊は、はるかに遅れていました。

「いくら探しても水がない。どうしようか」

と。家来たちは、ほとほと困り果てていました。


「いったい、どうなさったのですか? だいぶお困りのようですが・・・・」

青侍は、この女性の傍にいた家来たちに声をかけました。


「じつは、奥方様が、脱水状態を起こして、気を失いかけています。どこかに、水はないでしょうか?」

それを聞いて、その青侍の気転が働きます。これまでですと、黙って通過していたのでしたが、今回は、観音様の教えがありました。

「どうぞ、水の代わりになりますから、これを差し上げます」

こういって、大きな蜜柑3つのすべてを、惜しげもなく差し出したのでした。

その家来たちが喜んだのはもちろんのことでした。

この奥方は、その蜜柑を食べて意識を取り戻すことができたのでした。

しかし、脱水状態のために、何が起こっていたかの記憶すら無くなっていました。

ようやく、その蜜柑で自分を取り戻し、家来たちから事の仔細を聞いて、自分が助かったことを知りました。

いわば、蜜柑が彼女の命を救ったのでした。

そして、この救命のお礼にと、持ち合わせの白い高級布を三疋(むら)を与えました。

この場合、疋とは、布の長さの単位であり、反物二つを巻いたものでしたので、合計で6つの反物をいただいたことになりました。

しかし、これでは足りぬと京都の住所も教え、改めてお礼をしたいと申し出たのでした。

それは、そうでしょう。死にかけていた命を救ったのですから、その蜜柑の価値は、その命に匹敵するものにまで上昇していたのでした。

ここで重要なことは、その青侍が、その蜜柑を自分で食べずに持っていたことであり、そのすべてを彼女のために差し出したことでした。

そして、結果的に、その蜜柑が彼女の命を救ったのですから、その時点においては、蜜柑が彼女の命と等価になっていたのでした。

おそらく、これで彼女の命を救うことができれば、こんなに良いことはない、と思われたのではないでしょうか。

ここに、観音様の教えを基礎にした彼の気転と速断があったのだと思います。

最初の交換は、こどもの欲求にこたえるものでしたが、次の第二段階では、命を救うものになったのですから、ここでは交換の質が飛躍的に向上しています。

私どもの人生においても、このような交換は、日常的にもよくあることです。

蜜柑が命を救ったのですから、蜜柑がリンゴやスイカになってもよいのです。場合によっては、空気や水であってもよいのだと思います。

そして、ここで重要なことは、その青侍の気転の背後において、相手のことを「思いやる心」が働いていたことでした。

おそらく、この思いやりも、彼が赤貧に喘いできたことからこそ養われたものではないかと思われます。

こうして、第二段階の物々交換においては、質的飛躍がなされたことが注目されます(つづく)。

写真は、「青柚子」3つです。これがみごとに美味しいのですが、その話は、どこかで紹介させていただきます。
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