1998年に大量の赤潮(新種のプランクトン)の発生で、45億円もの被害を出した広島カキ養殖は、その翌年にも同じ被害が出現すれば、壊滅的な打撃を受けるであろうといわれていました。

その意味で、その発生の予兆をどう予測し、どう防ぐかが焦眉の重要課題となっていました。

そのため、広島湾において最も水質が悪い北部水域の溶存酸素濃度の低下の推移が、それを見極め、予測する一つの重要な指標でした。

事実、翌年の1999年の春先から7月までの変化は、その前年度の低下傾向とほぼ一致し、いつ赤潮の大量発生が起こってもよい状態で、油断できない緊張の夏を迎えていました。

7月に入って、問題の植物プランクトンであったヘテロカプサ・サーキュラリスカーマの発生が、徐々に増え、その再来の可能性が日に日に高まり、そのことで、それこそ毎朝のように、カキ漁師から、どうしたらよいかと心配の電話がかかってきていました。

また、私どものマイクロバブルに関する取り組みが、「ミクロな泡」としてNHKニュース7で紹介されたこともあり、その赤潮に、どう立ち向かうかが、私自身においても厳しく問われることになりました。

当時は、未熟な私でしたから、夢のなかでは、そのヘテロカプサが私を襲ってくるという「深刻な事態?」にまで追い込まれていた。

そして、広島湾での水質の悪化が進めば進むほど、そのヘテロカプサが夢の中で襲ってくる回数も増えていったのでした。

私は、その赤潮対策として合計で8つの方法を検討し、その準備をしていました。まさに、「頼るのはマイクロバブル」のみであり、それにかけるしかないと思っていました。

そして、その準備を終えると、この8つの対策がだめであったなら、他に方法はなく、その時は、至らなかったと正直に詫びるしかない、できることはすべてやり、最善を尽くそうという思いに至りました。

また、そのことを現地広島で開催した講演会の席でも広く明らかにさせていただきました。

すると何かが起きたのでしょうか、その夜から、夢の中でヘテロカプサが私を襲うことが無くなってしまいました。夢の中とはいえ、ほっと一息つかせていただきました。

しかし、実際には、そのヘテロカプサの発生量は増え続け、「これ以上増えると、もうだめかもしれない」と思うことが何度もありました。

ところが、諦めかけた日の翌日には不思議と雨が降り、水温が下がって、ヘテロカプサの発生量が減少していったのです。

でも、秋口には、台風23号が来て湾内の海水がかき混ぜられたせいでしょうか、そのヘテロカプサが、1cc中に10000個発生という、カキが死滅し始める深刻な事態が発生しました。

これは大変だと思って、慌ててカキ漁師に電話をすると、彼らは、比較的落ちついていて、次のような返事がありました。

「先生、江田島湾では、カキ筏を湾外にみんな移動させとるでー。わしらの筏も、移動させたけんのぉー、ひとまず安心じゃ」

「そうか、知恵を働かせたな」と思いました。カキが育ったカキ筏の価値は、当時の金額で100万円以上といわれていました。

その価値あるカキ筏を、そのままにして死なせてしまえば、それは金を捨てるのと同じですから、この気転が功を奏し、移動したカキが斃死するという最悪の事態は避けられたのでした。

こうして、いつの間にか本格的な秋を迎え、その水温の低下とともに、そのヘテロカプサ騒動は治まっていきました。

結局、雨に救われ、私の8つの対策は一つも発動せずに済みました。

この時こそ、「天の恵み」というものがあるのだ、という思いを強めたことはありませんでした。

そして、その後には、立派にすくすくとマイクロバブルで育ったカキが、そのカキ筏の下に出現していました。

今でも忘れることはありません。その立派なカキ(下図参照)を、夕やみ迫るカキ筏の上でしげしげと眺めていたときに、こころの底から、そこはかとない喜びが込み上げてきたことを思い出します。

そして、12月になってNHKニュース7で、その成果が放送され、さらに翌年の8月にも同番組で放送されることになりました。

この間、約半年ごとに、ニュース7で3回連続で放送されるという珍しい事例が生まれることになりました。

NHKニュース7は、約1000万人の方々が視聴するといわれています。その番組に出ることは、それだけ多くの方々の期待に結びつくことですから、その社会的重みを実践的に学習させていただいたことは非常に貴重な体験となりました(つづく)。

写真は江田島湾のマイクロバブル育ちのカキで、立派に身入りしたみごとなカキです。


広島カキ2000-1