セラピストのO先生との竹田の名物話は、その後も延々と続き、食べ物の話をしながらリハビリを受けたので、互いに腹が減るということまで起こるようになりました。
そして退院後の現地でも、この食の検証を行わせていただき、それが間違いないことを確かめました。これらのゆかいな話については、いずれ、どこかで紹介する予定です。
セラピストの二人目はS先生で、腰の低い、物静かでとても親切・丁寧な方でした。
まずは、出身地の話になり、そこが私と同郷の宇佐市四日市でしたので、たちまち話に弾みがつきました。
これを「同郷のよしみ」というのでしょうね。彼は、私の出た中学校の後輩でした。
手術後、約2週間は寝たきりの状態でしたので、体力がまるでなくなり、起き上がることさえ容易ではありませんでした。
また、そのころから車いすの練習を開始しましたが、15分も座ったままでいると気分が悪くなり、頭がふらふら状態になって座っていることができないほどでした。
しかし、しばらく車いすの練習を繰り返すことで、階下のリハビリ室まで降りていけるようになりました。
そのリハビリ室で最初のリハビリを、S先生から受けた時のことをよく覚えています。
同郷のよしみだったからでしょうか、ついつい、大きな話をしてしまいました。
それは、大きすぎて未だに実現されていませんが、当時は、そのような話が舞い込んできていたので、ついつい、その差支えない範囲でのことでしたが、その一部に関する話をさせていただきました。
この時、S先生は、その話に非常に興味を抱かれたよう、S先生の理解力に感心しました。
これが契機になり、それ以降のリハビリでは、それこそ、マイクロバブルの話の花盛りになっていきました。
同時に、私としては、こんなに大変な作業が必要なリハビリにおいて、なんとかマイクロバブルを役立たせる方法はないのかと、その利用法を真剣に考えるようになりました。
こうして、毎日のリハビリの日課ごとに、私はリハビリの技術を学び、S先生はマイクロバブルの科学のことを直に学ぶという、両方の体験的学習が効率よく進展していきました。
今振り返れば、この心身の交流を通じて、S先生は、マイクロバブルの知識を、すっかり理解し、信用を深めていったように思われました。
この理解と信用が基礎になり、私の退院後は、この病院との共同研究が始まることになりました。それが今日まで1年余にわたって継続しています。
今では、本病院関係者の理解も、かなり深まってきたようです。
さて、これを上述の「藁しべ」物語に照らして考えますと、大門を出るときにつまづいて倒れたことが、私の入院、手術に相当しています。
そこで思わずつかんだ一筋の「藁しべ」が、両セラピストの先生方とマイクロバブルを通じて「親しくなった」ことではないかと思います。
それでは、虻を付けた藁しべと蜜柑の物々交換は、どうなったのでしょうか。
それについては、次回のブログで述べることにしましょう(つづく)。
そして退院後の現地でも、この食の検証を行わせていただき、それが間違いないことを確かめました。これらのゆかいな話については、いずれ、どこかで紹介する予定です。
セラピストの二人目はS先生で、腰の低い、物静かでとても親切・丁寧な方でした。
まずは、出身地の話になり、そこが私と同郷の宇佐市四日市でしたので、たちまち話に弾みがつきました。
これを「同郷のよしみ」というのでしょうね。彼は、私の出た中学校の後輩でした。
手術後、約2週間は寝たきりの状態でしたので、体力がまるでなくなり、起き上がることさえ容易ではありませんでした。
また、そのころから車いすの練習を開始しましたが、15分も座ったままでいると気分が悪くなり、頭がふらふら状態になって座っていることができないほどでした。
しかし、しばらく車いすの練習を繰り返すことで、階下のリハビリ室まで降りていけるようになりました。
そのリハビリ室で最初のリハビリを、S先生から受けた時のことをよく覚えています。
同郷のよしみだったからでしょうか、ついつい、大きな話をしてしまいました。
それは、大きすぎて未だに実現されていませんが、当時は、そのような話が舞い込んできていたので、ついつい、その差支えない範囲でのことでしたが、その一部に関する話をさせていただきました。
この時、S先生は、その話に非常に興味を抱かれたよう、S先生の理解力に感心しました。
これが契機になり、それ以降のリハビリでは、それこそ、マイクロバブルの話の花盛りになっていきました。
同時に、私としては、こんなに大変な作業が必要なリハビリにおいて、なんとかマイクロバブルを役立たせる方法はないのかと、その利用法を真剣に考えるようになりました。
こうして、毎日のリハビリの日課ごとに、私はリハビリの技術を学び、S先生はマイクロバブルの科学のことを直に学ぶという、両方の体験的学習が効率よく進展していきました。
今振り返れば、この心身の交流を通じて、S先生は、マイクロバブルの知識を、すっかり理解し、信用を深めていったように思われました。
この理解と信用が基礎になり、私の退院後は、この病院との共同研究が始まることになりました。それが今日まで1年余にわたって継続しています。
今では、本病院関係者の理解も、かなり深まってきたようです。
さて、これを上述の「藁しべ」物語に照らして考えますと、大門を出るときにつまづいて倒れたことが、私の入院、手術に相当しています。
そこで思わずつかんだ一筋の「藁しべ」が、両セラピストの先生方とマイクロバブルを通じて「親しくなった」ことではないかと思います。
それでは、虻を付けた藁しべと蜜柑の物々交換は、どうなったのでしょうか。
それについては、次回のブログで述べることにしましょう(つづく)。
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