私は、大分県N市のK病院に、マイクロバブル仲間で元NHKカメラマンのK1さんの紹介で入院させていただきました。
このK1氏と同病院のK先生は古くからの知り合いでしたので、その入院が可能になったのだと思いますが、じつは、そこがどのような病院なのかも知らないままでの入院でした。
手術後に、特別のリハビリ体制が組まれたようで、二人のセラピストによる丁寧なリハビリを1日2回受けることになりました。
その最初は、大分県竹田市出身のO先生でした。竹田市は、作曲家の滝廉太郎、そして画家の田能村竹田などが出たところです。
本ブログが中断する前に、滝廉太郎のことをすこし調べていて、若くして不治の病であった結核に、しかも外国でかかり、さぞかし無念の思いであったろうと思っていました。
その滝廉太郎のことをリハビリを受けている最中に話しかけると、その荒城の月の舞台となった岡城の傍に竹田高校があり、その高校に通っていたころのことを話していただきました。
「竹田の名物は何ですか?」
こう尋ねたところ、即座に返ってきたのは、「はら太饅頭です」でした。
「はら太?」、これは聞いたことがない饅頭ですね。この時、私は、「荒城の月」か「みかさの」という返事があるものと思っていましたので、ふしぎな気持ちになって問い直しました。
「それは、どのような饅頭ですか? 竹田のどこで売っているのですか?」
「とってもおいしく、高校の時はたくさん食べていました。私のおじさんが、『千国や』という店を開いており、そこの『はら太饅頭が』が一番おしいです」
こうして、この饅頭から始まり、竹田の美味しい名物の話になり、私はO先生のリハビリを受けるのが楽しみになりました。
なにせ、O先生は、食べることに関しては博士並みの知識と経験を有していましたので、そのことに関しては「リハビリの腕以上?」ではないかとさえ思いました。
実際、この前知識を相当打ち込まれましたので、その後、この竹田市を訪れたときに、その教えの通りの食べ歩きをさせていただき、それが、言われていた通りのことだったので、二度感心したことを思い出します。
はら太饅頭(正式には、「はら太もち」と呼ばれている)は、湯で菓子の一種で、小麦粉の厚手の皮に小豆の餡をくるめて茹でたものですが、それが素朴な味で甘すぎないので、ついついいくつも食べたくなるような饅頭でした。
今度、竹田を訪問したときには、この「はら太もち」をもう1回食べてみたいと思います(つづく)。
このK1氏と同病院のK先生は古くからの知り合いでしたので、その入院が可能になったのだと思いますが、じつは、そこがどのような病院なのかも知らないままでの入院でした。
手術後に、特別のリハビリ体制が組まれたようで、二人のセラピストによる丁寧なリハビリを1日2回受けることになりました。
その最初は、大分県竹田市出身のO先生でした。竹田市は、作曲家の滝廉太郎、そして画家の田能村竹田などが出たところです。
本ブログが中断する前に、滝廉太郎のことをすこし調べていて、若くして不治の病であった結核に、しかも外国でかかり、さぞかし無念の思いであったろうと思っていました。
その滝廉太郎のことをリハビリを受けている最中に話しかけると、その荒城の月の舞台となった岡城の傍に竹田高校があり、その高校に通っていたころのことを話していただきました。
「竹田の名物は何ですか?」
こう尋ねたところ、即座に返ってきたのは、「はら太饅頭です」でした。
「はら太?」、これは聞いたことがない饅頭ですね。この時、私は、「荒城の月」か「みかさの」という返事があるものと思っていましたので、ふしぎな気持ちになって問い直しました。
「それは、どのような饅頭ですか? 竹田のどこで売っているのですか?」
「とってもおいしく、高校の時はたくさん食べていました。私のおじさんが、『千国や』という店を開いており、そこの『はら太饅頭が』が一番おしいです」
こうして、この饅頭から始まり、竹田の美味しい名物の話になり、私はO先生のリハビリを受けるのが楽しみになりました。
なにせ、O先生は、食べることに関しては博士並みの知識と経験を有していましたので、そのことに関しては「リハビリの腕以上?」ではないかとさえ思いました。
実際、この前知識を相当打ち込まれましたので、その後、この竹田市を訪れたときに、その教えの通りの食べ歩きをさせていただき、それが、言われていた通りのことだったので、二度感心したことを思い出します。
はら太饅頭(正式には、「はら太もち」と呼ばれている)は、湯で菓子の一種で、小麦粉の厚手の皮に小豆の餡をくるめて茹でたものですが、それが素朴な味で甘すぎないので、ついついいくつも食べたくなるような饅頭でした。
今度、竹田を訪問したときには、この「はら太もち」をもう1回食べてみたいと思います(つづく)。
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