また、❺については、手術後は、もっぱらリハビリで体力を回復することしかなく、それ以外の時間がたっぷり確保できたので、精神的な黙考や読書を思う存分にすることができました。

そのうち、この精神的作業が、いつのまにかより進むようになり、以下の課題に取り組むことになりました。

 ①マイクロバブルの科学と技術に関する体系的なノートづくり
これが思うようにできていないところがあり、それを思いつくままに書いてはまとめを繰り返しながらノートをまとめて行きました。

 ②そのノートを手掛かりにして、その文書化も試み、拙著『マイクロバブルのすべて』の続編草稿にすることにしました。

なにせ、就寝時間が夜の9時ですから、いつも午前2時か3時には目が覚めてしまいました。

深夜から朝方までが、その草稿の執筆時間になり、「退屈な時間」を「おもしろい時間」に変えることができました。

これについては、早く寝て、早く起きての作業でしたから、病院側も大目に見ていただたようで、大変ありがたく思いました。

ある時、病院長のK先生と、この話になり、「おかげで随分と執筆が進みました」と述べると、まるで、「苦楽吉祥ですね」といわれました。

K先生によれば、この言葉には、「何事も苦労があるから喜びがある、苦労を通じて知る喜びこそ本物である」、という意味が含まれているそうで、私の病室での執筆活動を、そのように理解されたようでした。

そこで、上述の➍について、これから少し深く分け入って考察を試みることにしましょう。

それは、この話の展開が昔話の「わら(藁)しべ長者」によく似ていて、そこに、そこはかとない「おもしろさ」を覚えたからでした。

さて,「わらしべ長者」については,いくつかの文書を読ませていただき(斎藤公子作『わらしべ皇子』を含めて)、それぞれに微妙な違いがあることが解りました。

そのなかで、私が最も気に入ったのは、清川妙著『心の色 ことばの光』にある「わらしべ長者ーー自分を信じる力」です。

ご存じのように、一本の藁しべを素にして次々と物々交換を繰り返し、ついには長者になった男の話です。

作者によれば、この話の原型は、鎌倉時代の説話集「宇治拾遺物語」のなかの「長谷寺参籠の男、利生にあずかる事」にあるようです。

そこで、その舞台となった奈良県の長谷寺を探してみたところ、そこには大変立派な、そして巨大な観音様の立像が安置されていました。

その主人公の青侍が、この観音様のお告げをいただいたときから、この物語は始まります(つづく)。