こちらでの潮湯の取り組みの影響が、ミスターXさんに続いてK1さんにも飛び火しました。

聞くところによれば、K1さんにもマイクロバブル潮湯に関する重要な思い出があったそうです。

かれのことについては、何度か、この場でも紹介してきましたが、いわずと知れた熱烈なマイクロバブル愛好者であり、マイクロバブル仲間の一人です。

かれとは、2001年に三重県賢島の真珠養殖の取材の時に知り合って以来ですので、かれこれ、もう12年にもなります。

12年とは、映画「男はつらいよ・あじさいの恋」に登場する近藤という焼物師の弟子が丁度修業をしていた年月です。

若き柄本明が演じる、その弟子は、寅さんに「何年やっているの? 見込みないんじゃないか?」とズバリ言われてひどく動揺します。

その長い年月が「12年」です。

このとき、三重県の英虞湾において真冬の真珠養殖のすばらしい水中撮影を行っていただいたことが縁になり、徐々に付き合いが始まりました。

2回目のやり取りは、拙著『マイクロバブルのすべて』を、たしか2008年頃に、私のサインを入れて送ったときのことでした。

かれは、このとき「NHKスペシャル」という番組で東京湾の水中撮影の仕事をしていました。

これに関連の取材の話もあって、東京の飯田橋のグランドパレスホテルの1階ロビーで面会しました。

このときにかれは、私が贈呈した本に記したサインの日付が奇しくもかれの誕生日であったことから、とても喜ばれていました。

しかし、あの精悍な表情はどこにもなく、髪の毛は白くなり、「これは、偉い老けたな!」と思うほどで、すっかり変わり果てていました。

おまけに顔や手に多数のひどい湿疹が出ていて、「これはなんとかしてやらなければ・・・」と思いました。

「K1さん、もしかしたら、その湿疹が改善されるかもしれません。マイクロバブルのお風呂に入ってみられてはいかがですか」

面会の終わりに、このように切り出しました。

事情を聞くと、ゴムアレルギーによる湿疹らしく、古くは、あの喜太郎のメロディーで有名な「シルクロード」の撮影の際に、首にテレビカメラの線を蒔きつけたときから出始めたそうです。

かれは、水中カメラマンでもありますので、必ずゴムのスーツを着て撮影をしますので、ゴムが肌に付着することを避けることはできません。

ですから、それこそ潜るたびに湿疹が身体中に出るようになり、いわば、それが常態化していたそうです。

かれにとっては、「藁をもつかむ」気持だったのだと思います。

すぐに、マイクロバブル導入を了解され、この時以来、マイクロバブル入浴が日課になっていきました。もちろん、それで問題の湿疹は徐々に改善していきました。

それからしばらくして、伊豆大島においてダイバーの研修会があり、かれは、その教師として参加することになりました。この旅行の直前にK1家での騒動が起こりました。

ひどかった湿疹が相当改善されかけたときでしたので、そのマイクロバブル装置を伊豆大島に持っていくかどうかで一悶着がありました。

かれにしてみれば、せっかく改善してきたのに、それが元通りになることは「地獄の底に落ちてしまう」くらいの重大事だったのです。

もちろん、相手は、奥さまほかの家族です。

しかし、かれは、その家族の反対をなんとか押し切って(ようやくかもしれませんが・・・)、マイクロバブル風呂用装置一式を伊豆大島のホテルに持ち込みます。

前置きが長くなりました。このときにマイクロバブル装置を設置したのが、そのホテルの風呂であり、それが潮湯だったのです。

風呂の水を舐めてみると、やや塩辛かったそうで、そのこともよく記憶していました。

今回の私の記事を読んで、その時の潮湯に入ったときの「ここちよさ」を鮮やかに思い出されたそうです。

おそらく、その潮湯が、かれの湿疹に対してもより効果的に働いたはずで、わざわざ家族の反対を押し切ってまでも持参したことには立派な意味があったのではないかと思います。

湿疹は枯れるか、それとも拡大するかの瀬戸際にあり、家族であれば、我慢をすればよいことですので、この場合、その優劣は明らかです。

そして今回の私の潮湯記事を読んで、上記の記憶を蘇らせたようです。

これですと、K1さんがより先にマイクロバブル潮湯を経験されていたことになります。

しかし、この伊豆大島の潮湯経験は1週間程度で終わり、その後は、かれの記憶の中に埋まってしまいました。

ミスターXさんと同じように、その体験記憶が蘇ってきた後は、次のアクションを起こすことに、じつに有効でした。

つづく

海喜荘ー5

潮湯がある老舗旅館の中庭、2012年11月8日。マイクロバブル博士撮影。