昨日は朝から夕方までほぼ終日の面会を受けていました。

これだけ長く、本格的な話し合いはなかなかなく、おかげで、ふかくておもしろい、そして、おもしろくてゆかいな一日となりました。

さて、4月以来、この国東に移住して9カ月目を迎えています。その新生活においてやや落ちつき始めたのが秋口に入った頃であり、同時に新たな課題も徐々に明らかになり始めました。

人間は、現在においてしか生きられないはずなのに、どうしても過去を引きずって生きてしまうようで、これを過去の「しがらみ」というのでしょうね。

そのために、すっかり新しい自分に生まれ変わることが、実際には、なかなかできないようです。

しかし、何かに没頭できるようになる、一心不乱に取り組むようになってしばらくすると、ふと、「そうか、ここで変わっていたのだ」と気付く時があります。

人間も生物ですから、知らず知らずに変わっていって、ある日気がつくのですね。

それは、毎日眺めている植物についても同じです。日々の成長はわずかであり、それこそか弱い成長です。

しかし、日数が重なっていくと小さくない成長を遂げていて、その成長も、ある時間が経ってみて初めて理解することができます。

根から栄養と水分を補給し、太陽の光を得て合成をしながら、徐々に組織を作っていくのですから、時間がかかるのが自然であり、当然です。

まず、生活の基本がまるっきり変わりました。衣食住といいますが、その住においては、生まれて初めて自宅なるものを持つことができました。

この家に慣れるのにもずいぶんと時間が必要でした。国東というところは、「国の東、国の先」という意味があるようで、その気候になじむのにもある程度の時間が必要でした。

春は温暖で夏を近く感じ、夏は涼風を得て暑すぎず、秋には夜空の星と月が美しいところでした。

そして現在の冬でも、燦々と太陽がふりそそいで暖かく、予想したほどの北風もなく、さすが、「日本の地中海」と呼ばれるだけのことはあると、日々の想いを強めています。

食においては、毎週、安岐町の港のセリに通い始め、生きた魚を美味しく食べることが自然に習慣になりました。

最近は、一箱500円程度の買い物が多くなり、小ぶりの魚の刺身を少しいただくことで十分満足できるようになりました。

また、海水の水槽を用意し、そこで生きた魚を買って飼うことにしました。大切なお客さんがくると、その水槽から魚を取り出して料理することにし、昨日は、その最初のもてなしでした。

その生きたホゴとオコゼの刺身は抜群でした。

それから、セリの市場の傍に、「里の駅」と呼ばれる店があり、ここでは、新鮮な野菜が、どこよりも安く買えます。いずれも大きな束や袋で100円程度ですので、これも野菜に対する概念が変わってしまいました。

最近では、自然薯とか長イモとかいわれるイモが、驚くような値段で買えました。長さは1mもあり、かなり太いのが1000円以下でした。

これまでは、高すぎて手を出せないイモであり、それが数分の1以下で買えるのですから、吃驚するのも無理はありません。

しかし、ここでは、1000円もすると高価なものになりすぎて、これを誰も買わない、いつも売れ残っていて、これも驚きです。

こうして魚と野菜を中心にして食生活が変わり、それが身体の健康問題に影響を与えるようになりました。

もともと、歳を重ね、無理に無理をも重ねてきましたので、その身体を蘇生させるには、やはり少々の時間がかかるようです。

この生活における落ちつきとともに、探究心に関する火がむらむらと燃えてきたようです。それに役立ったのが、一連のマイクロバブル水耕栽培装置のプラントづくりでした。

おかげで、植物とともに過ごせるようになり、宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長が自室に植物を置いていた気持ちがやや解るようになりました。

より温かく、植物の匂いがたちこめる空間が「最高の癒しの空間」になりはじめているのです。

この探究心の火は、そういえば、若いころにも味わったなと思い起こすことが多く、GFH(緑の砦の家)が重要な私の拠点になりそうです。

こうして師走を迎え、あと少しで新しい年になりますね。

社会では、まだまだ混乱が続きそうで、決して明るい兆しを見せていませんので、このブレイクスルーが求められています。

その意味でGFHをより強固にして、より深く、おもしろく、探究心の火を煌々と燃やしていく必要があるようです。

つづく

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ビオラ、筆者撮影。