今日は大晦日、2012年も最後の日を迎えています。昨年とは、うって変って、静かな大晦日です。

朝から大粒の雪が降ったり止んだりで、この日本の地中海と呼ばれる国東半島でも寒いのですから、日本列島全体が冷え込んでいるのでしょう。

29日から、沖縄の子どもたち3人を含めたお客さんを迎えています。この子どもたちは雪を見たことがなく、初めての雪との遭遇に、大はしゃぎしていました。

初めての飛行機、新幹線、特急列車に続いて雪との出会い、さぞかし感激したことでしょう。そして、本日は生まれて初めてのアフリカンサファリーに行き、猛獣たちを見学しにいきました。

また、私どもは、こちらに残り、正月の準備をしました。なにしろ、初めての正月ですから、そのほとんどが新鮮です。

ところで、先日28日における宿題は、竹田の但馬屋の「荒城の月」という洒落たお菓子がどうしてできたのか? その理由を探索することでした。

もう一方の「三笠野」の由来は、どうやら奈良にルーツがあるようですが、荒城の月については、滝廉太郎の歌からいただいたとしか説明されていません。

――― これは、意外と簡単に答えを得ることができないかもしれない。

こう思いながら、一緒にかった泡雪菓子を食べてみようと思い、その代表格である「九重(ここのえ)」という生菓子をいただいて、そこから、スッとヒントをいただきました。

この九重は、外側が白い泡雪と柚子の皮の砂糖漬け、そして中が抹茶を入れた黄身羹でした。

――― 中の餡の部分は小さく、それを包むようにして白い泡雪が巻かれていました。甘い餡に対し、その外側は甘くない白の泡雪ですから、これを口の中に入れて噛むと、この両者が混合され、なんともいえない良い歯ごたえの味になるではありませんか。

――― これは、餡が少し違うが、荒城の月の味と同じだ!そうか、泡雪づくりの技術が発展・洗練されて、あの荒城の月の饅頭になったのか。ここにユニークさがあたのだ!

この九重と同時に、桜色、白、緑の泡雪をそれぞれ1本ずつ買いました。そのうち、桜色の泡雪を食べてたのですが、この場合は、その泡雪に甘味が付けられていましたので、それと荒城の月を連想することができませんでした。

黄身羹と泡雪の技術と文化が、どのように形成され、広まっていったのか、興味の尽きない問題ですね。

ところで、今日は、大晦日、午前中は、植物工場における野菜育成のケア、竹田の水の研究、午後は姉の見舞いとケア、夕方は、スーパーに行って、晦日と元旦用にお願いしていた料理を受け取りにいきました。

その際、このところ顔なじみになった若い定員さんと声を掛け合いました。

「いつもがんばっていますね。もうお客さんがいませんね!」

「そうですよ、みなさん、買い物を済ませて紅白歌合戦を見るところですよ!」

「そうだね。すっかり暗くなってしまったから、みなさん炬燵を囲んでいるころですね。ところで、出身はどちらですか?」

「天草です。こちらに来てから半年ぐらいになります」

「天草からですか、よく頑張っていますね。昔、天草の先の牛深というところによく行きました」

「牛深ですか。なつかしいですね!」

いつも一生懸命働いている若者であり、好感を抱いていました。彼らが家路につき、ゆっくりする頃には紅白歌合戦も後半に入っているでしょうね。

いつも、新鮮な野菜や果物を安く売って、儲けがあるのかなと思うほどですが、いつもお世話になっている若い店員さんとの大晦日の会話でした。

これで、国東に来て9カ月が過ぎました。それらをゆっくりと振り返る時間もなく、大晦日の時間だけが、新しい年に向かって過ぎていきました。

みなさん、どうかよいお年を迎えてくださいね。


20121230aji
みごとな真鯵、2012年12月30日、マイクロバブル博士撮影。購入価格は4匹で2800円でした。まさに、「関あじ」の味でした。