心にしみいる「荒城の月」、みな迫力あるソプラノを静かに聴いていました。

しかし、一人だけ例外がいて、それがしらたまちゃんでした。最初バットを持って歌の拍子に合わせて降っていましたが、それに飽きると、今度は、自分で「腹ペコ青虫」の絵本を静かに読んでいました。

この曲は、別れにふさわしく、抒情を誘うのでしょう。

歌が二番、三番と進むにつれて、ますます盛り上がり、瀧廉太郎と土井晩翠の想いと名調子が乗り移ってきそうでした。


今荒城の 夜半の月

かわらぬ光 たがためぞ

垣にのこるは ただかつら

松に歌うは ただ嵐

 

この頃、若くして世の先駆けとなれる人物が、不治の病である結核で命を落としています。

あの維新を駆け抜けた高杉晋作、本格的な作曲家としての道を歩み始めた瀧廉太郎、そして「泣き虫弱虫」の石川啄木、いずれも立派に生きていれば、日本のその後の歩みもかなり違っていたのではないでしょうか。

荒城の月の四番も無事歌い終え、みんなしんみりと余韻に浸っていたところ、ひとりだけにぎやかな人物がいました。

それが、しらまちゃんでした。自分でピアノの前に進み、椅子に座って、弾き語りを始めました。

その最初の曲が「かえる」、次が「はとぽっぽ」、そして最後は「お正月」でした。「かえる」は初の演奏であり、「はやくこいこい、お正月」では、こちらに来いという「手招き」までありました。

これで、しんみりした雰囲気が一挙に崩れ、爆笑の渦の連続となりました。

そして、最後は、別れ人ご本人のジャズピアノの演奏となり、とてもさわやかな演奏会となりました。

それぞれが、みんなの前で臆することなく自分を表現できたことにすばらしさを感じました(つづく)。

以下は、クッキーづくりに精を出しているしらたまちゃんです。

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