「今日も暑いですね!その後、お身体のほうはいかがですか?ちょっと見たところ、お元気そうですが」

 「えぇ、最近は、なかなかいいですね!以前は、このように出歩くなど、考えられなかったことです」

 「やはり、そうですか。それはよかったですね。つい、最近、日本に住む私の姉から、電話がかかってきました。どうやら、姉も元気になったようで、すっかり喜んでおられました。約1年前は、彼女も大変な様子でした」

 「といいますと?」 

 「長い間、音信不通でしたが、ある日、突然電話がかかってきました。そして、もう長くないから、電話で声を聞きたかったといきなり言われ、これは尋常ではないと思いました。

 どうしたのですか? と尋ねると、身体の調子がよくない、医者からもそういわれている、目もはっきり見えなくなって困っている、とのことでした」

 「それはいけませんね」

 「一人暮らしですから、体調がよくなくなると、気弱になってしまったようです。今度、お盆前に墓掃除に行くから、その時に寄るからと、安心していただいたのですが、どうも、そのようにはうまくいきませんでした。

その翌日に、今日、こちらに来ると聞いていたけど、まだ着かないね、と電話をかけてきて、いいだしたのです。明らかに、姉は、困ったことに少し錯乱していました」

 「そのようですね」

 「約1カ月後のお盆のときと、電話をかけた翌日を取り違えていました。『今日ではありませんよ。今度、お盆の時ですよ』、こういわれて、初めて自分が勘違いしていたことに気がつく姉でしたので、これは、いかん、なんとかしなければと思いました」

 「それで、あの小さな気泡が出る装置を持って行かれたのですね」

 「よくご存じですね。私には、それしかできませんので、とにかく、それを持って行って使ってもらうしかないと思っていました。

 ところが、姉の方も、いきなり持って来られたので、戸惑っていました。『毎日、お風呂には入らない。ヘルパーがいないと入れない』などといっていました。

 しかし、いっしょにいった子供たちが丁寧に説明を行い、たちどころに風呂に、その装置を設置しましたので、それからは、その気になられたようでした」

 「それはよかったですね。歳を取ると、慣れないものはなかなか使えません。その気持ち、よくわかります」

 「はい、その風呂用装置の設置が終わると、姉は、私の小さい頃の話を子供たちにしはじめました。子供たちも初めて聞く話ばかりですので、興味津々の様子でした。姉とは、歳がずいぶん離れていますので、私の小さい頃のことをよく覚えている姉でした。

 その話では、幼いころの私は、おとなしい、物言わぬ子供だったようでした。しかし、私の母の私にたいするしつけは厳格だったようで、私が宿題もしないで遊びに出掛けようとすると、裁縫用の物差しをもって、私を追いかけていたそうです。

 今年の夏も、その姉のところに娘と家内が行き、喜ばれました。その1年前とは、まるっきり違う元気な姉だったそうで、『こんなにちがうのか、人は変われるものだ』としきりにいわれていました。もちろん、それが、あの小さな気泡の装置のおかげだであると、姉も、すっかり、そう理解されていました」

 「そうですか、なんだか、他人事のようには思えませんね」

 「ありがとうございます。その姉から、またまた、私の幼いころの話を聞いてきたようです」

 「それは、どんな話ですか?」

 「私が、だまって二階にいく階段を上っていったという話です。そのとき、私の背中に、一本の物差しの跡が付いていたというのです。私は色が白かったので、長い物差しの跡が鮮やかだったというのです。

 そのとき姉は、母に、そこまでしなくてもよいのではないかといったそうです。しかし、私には、そのような記憶はまったくありません。なにか、母が裁縫用の物差しを常に持っていた記憶はありますが、それ以上のことは覚えていません。

 おそらく、宿題をさせようと思った母と、それからいかにして逃れるか、それがゲームのようになっていて、こちらは、家に帰ってきたことを悟られぬように、いかに、さっとランドセルカバンを投げ入れて遊びに出かけるか、それを母と競い合っていたと聞いたことがあります。

 ですから、母も母で、私を待ち構えていたのだと思います。こうなると、今日は、どこで、どうしてという『たたかい』になりますので、それに敗れると、こちらも、背中に物差しの跡がのこるという事態も容易に想像することができます。

 それは、『母との戦いに敗れた結果』だったのではないでしょうか。ですから、なにもいわずにだまって二階の階段を上り、宿題をしにいったのだと思います」

 「話を聞いていますと、立派なお母さんですね」

 「その通りですね。当時は、宿題をしなくても何もいわれない時代ですから、そのように、宿題をかならずさせるような親はなかなかいなかったと思います。

 しかし、私の母は、この点に関しては例外で、とても、それにこだわっておられた方でした。ですから、その母との戦いに敗れた私は、とにかく急いで宿題をやり遂げる、やり遂げて、一刻も早く友達といっしょに遊びに出掛けることを目指しました」

 その1年後の姉が語った「物差しの跡」の話、今年は、忙しすぎて墓掃除にも行けず、この話が「ハイライト」として浮き彫りになりました。

 それにしても、そこには、ヘルパーさんたちに冗談をいうまでに元気になった姉の姿がありました。これも、小さな気泡のおかげであると、その自覚もすっかりなされている姉でした。

 その晩は、その姉の気持ちがたくさんこもったお土産がどっさり届けられました。「背中の物差しの跡」の話とともに、幼き頃の話に花が咲いた夜となりました(つづく)。

  MC900227907