早朝散歩も3日目に入りました。今朝は、窓を開けて寝たせいか、身体が冷えてしまったので、そのまま、マイクロバブル入浴をたっぷりしてから散歩に出かけることになりました。

 今日は、どうしようかといつもしばらく逡巡するのですが、愛用パソコンを持って散歩に出るとなると、その迷いが消えるのですから、不思議なものです。

 本ブログを書くことがいつのまにか日課になっていますので、それに散歩が加わったというのが正直なところかもしれません。

 さて、最近の私の関心事は、これまでも紹介させていただいたように、小説『日本沈没』に出てくる田所雄介教授に関する研究です。

 彼を紹介していただいた長岡技術科学大学の新原先生にも、その研究をさせていただく旨の報告をさせていただきました。

 そこで、早速ですが、小説『日本沈没』を我が家の本棚で探してみましたが、どうしても見当たりませんので、新たに購入することにし、昨日、それを注文していただきました。

 同時に、俳優小林桂樹が田所教授役をなさった映画「日本沈没」のDVDも注文することにしました。

 小説と映画の両方から、日本沈没を発見し、それに立ち向かった学者のあり様を調べようという試みですが、いまから、何が得られるのか、わくわくしています。

 この小説が出版されたのは1973年です。このとき、私は大学院生でした。本屋で、この小説を買い、夢中になって読んだ記憶があります。当時としては380万部を売り上げた大ベストセラーでした。

 また、小松左京さんは、この小説を1960年代の後半から書き始めたというのですから、それが発行されるまでに5、6年の歳月を要したことになります。やはり、並大抵のスケールではないようです。

 このとき、この小説を読みながら、なんと日本を丸ごと沈めさせてしまうのかと、その発想の独創性、スケールの大きさに圧倒され、感動したことを思い出すことができますが、それを自分の成長と重ねてみることができませんでした。

 24歳のときですから、未熟そのものでした。それゆえ、田所教授の生き方を自分の問題に結び付けてみることができなかったのだと思います。

 片や、新原先生は、現在のご年齢から推察すると、その時は30歳代半ばですから、大学の先生としていかになすべきかを自らに問いかけられていたころであり、この田所教授の生き様が、そのまま直接的に影響したのだと思います。

 ですから、私にとっては、小説の世界の田所雄介教授と、「生きた田所教授」ともいえる新原先生の両方が存在しています。

 この「お二人から学ばせていただくことが相当数あるのではないか、どうかよろしくお願いいたします」という気持ちでいっぱいになっています。

 小説のように、陸地こそ沈みませんが、その小説から約30年を経て、同質の「日本沈没」が起ころうとしていることを感じることが少なくなく、簡単には、「過去の小説の世界だ」と見過ごすことはできないような気がしています。

 なんとか、この日本沈没を阻止し、「再浮上」を実現できるようにしたいですね。

 先日の新原先生の特別講演では、長岡技術科学大学と全国の高専が手を取り合って、日本における技術者づくりの主役を担う、それを可能とするための教育研究、技術開発をめざすということが結論的に述べられました。

 先生の言葉によれば、「技術科学大学と高専の連携、これが最高の形態である」、「考えれば考えるほど、これしかない」と思われるようになられたそうです。

 このことを、現役の技術科学大学の学長がきっぱりと宣言されたことは、50年近い高専の歴史においても初めてのことでした。私たちにとっては、待ちに待ったことでした。

 私は、その宣言がなされた感動を隠すことができませんでした。

 講演後の懇親会で改めて新原先生、斎藤副学長を前にして「心からのお礼の意味を込めて感謝の拍手を贈りましょう!」とみなさまにいい、それこそ割れるような拍手が起こり、これにも感動しました。

 新原先生も、さぞかし同じ思いをなされたことでしょう。

 新原講演の最後には、次の言葉が示されました。

 「不変則退」

 「変わらないことは、退くことである」という意味だそうで、現在の新原先生を体現された言葉だと思いました。

 「日本沈没」を目の前にしては、常に変化を求めて前に進むしかない、これが田所教授の生き様と重なるのかもしれませんね。

 小説『日本沈没』、9日には届くそうなので、心待ちにしています。

 朝家を出た時には、どんよりした曇り空でしたが、今は、だいぶ明るくなってきました。台風も過ぎて、少し涼しくなってきたようです(つづく)。

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