娘から、「invictus(負けざる者たち,ラテン語)」の映画を勧められました。この映画は、南アフリカで初めて黒人大統領として選出されたマンデラ大統領の物語です。

彼は、約30年間牢獄に押し込められ、その間も不屈の(invictus)闘争を続け、最後には、民主的な選挙によって大統領に選ばれ、その仕事を開始します。

幸いにも、この大統領の仕事を開始するにあたり何をするかを考えたときに、1年後にラグビーワールドカップを開催するというチャンスを見出します。

南アフリカのナショナルラグビーチームは「スプリングボカ」と呼ばれ、何よりも「アパルトヘイト(人種差別政策)」の象徴が、このチーム自身でした。

たとえば、このチームが外国のチームと試合をすると、白人たちは、このチームを応援するのに対し、黒人たちは、それとは反対に外国チームを応援するという具合にまでなっていました。

マンデラ政権樹立とともに、このシンボルであったボカのチームの解体、ユニーホームとエンブレムの廃止が決議されますが、それに真っ向から反対し、その維持を目指したのが、マンデラ大統領自身でした。

相手を許し、寛容になることこそ最大の武器であると関係者たちを説き伏せ、「懐の深いところを見せよう!」と同僚たちを説得したのです。

政治的には権力を奪取しても、経済や文化においては、圧倒的に白人たちに実権を握られたままであり、そのシンボルがラグビーチームのボカだったのです。

折しも、ラグビーワールドカップ開催の1年前という絶好のチャンス、すなわち「天の時」を得て、ボカという「地の利」を活かすことを考えようとされたのです。

しかし、大方の予想では、スプリング・ボカの力は予選止まり、それを勝ち抜いていくことは誰も予想していませんでした。

そこで、マンデラ大統領は、ボカのキャプテンであったフランソワ・ピナールを大統領室での「お茶」に招待します。

まずは、その中心人物であるピナールの意識を変革することから始めようとしました。

当時のチームは、そのピナール自身を含めて、ガタガタの状態にあり、敗退した試合後にはロッカールームでビールを飲み、それが美味しくないとドアに投げつけるほどでした。

このような状態にあったチームのことを聞かれ、ピナールはさぞかし焦ったことでしょう。マンデラ大統領は、そのピナール自身を鼓舞することを考え、次のように質問します。

「チームの一人一人を最高の状態にもっていき、その壁をどう突破するか、これには『ひらめき』が必要である。そのことをどう考えてきたか?」

こういわれても、それを本当に理解できていなかったピナールにとっては、「試合場に向かうバスの中でみんなが知っている歌を流す」という程度の返事しかできませんでした。

ピナールには、その「ひらめき」がなかったのです。ここを、マンデラ大統領は、ズバリ突いてきたのでした(つづく)。

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