今朝は小雨の中を新幹線の飛び乗り危うくセーフ動き出す寸前で乗車ができました。本日の目的地は大阪、そこで、教育に関する打ち合わせ会に参加させていただきました。

さて、大阪駅までは順調に到着しましたが、それからがいけません。見知らぬ土地にくると、極端に目的地を探す能力が劣ってしまうからです。

目的地の「大学コンソーシアム大阪」という建物は、以前に訪れたことがあったのですが、それに気づいたのは、その建物が見つかって会場に向かうときでした。

結果的に、インターネットで場所を探しながら、まごまごしながら進み、10分足らずでいけるところを30分余もかかってしまいました。

もっとも、この迷いを予想して昼飯に「むすび」2つを買っていましたので、空腹で過ごすことだけは免れることができました。

それから、会議を終えて夕方には帰りの新幹線に乗り込むことができました。3連休のはじまりだからでしょうか、自由席は満席で、かろうじて座ることができました。

お土産には、好物の京都の「千枚漬け」と「柿の葉鮨」を買いました。この鮨をすこしほおばりながら、まずは、急ぎのメイルを出して、本ブログの執筆にとりかかりました。

ところが、すでに新幹線は岡山を過ぎていましたので、そこからはトンネルばかりで、その送信が途絶えてしまいますので、その継続が不可能と思い、その執筆を諦めました。

となると、指を動かす必要がなくなりましたので、これ幸いと頭の中のみを動かして久しぶりにいろいろと思いを廻らして考えてみることにしました。

その第一は、最近の読書遍歴についてでした。まずは、先に紹介してきた『日本沈没』ですが、これからは大変な刺激を受けることができました。

例の、「鋭く、大きな直観」であり、それを語った田所雄作博士の「生きざま」、そして「言動」でした。

これに関連しては、同書上巻の最後で、彼が日本沈没が起こることを宣言するシーンがあります。

そこで、彼が、これまでのデータを分析して、これまで以上の予想すらできなかったことが起こりうるのだということ、つまり、日本が沈没するということを語る場面があります。

「どうして、これまでのデータから分析できないことを予想できるのですか?」

こう問われ、彼が、次のように返事をした重要なやり取りがなされたときでした。

「直観とイマジネーション(想像)だ!」

この場面のやり取りを何度も読み返しているうちに、最初に、この本を読んだ時の若かりし記憶が自然に蘇ってきました。

それは、今から37年前の私の記憶でした。

「そうはいっても、わからないものはわからないであろう!どうして、それが日本沈没にまで導かれていったのか?、それがよくわからない。このようなことは本当だろうか?」

これが若かりし私の「未熟な感想」だったのです。ここで、もうすこし、この問題をふかく追求すればよかったのですが、それができないまま、結局は37年を経過するまで、この重要な考察を行うことはできませんでした。

しかし、その37年を経過した今では、その考察がいかに大切で、その成就がいかに意味があるかをわかりかけてきたような気がしています。

当時は、わからなくても、それを考え続ける、考え抜くことができなかった、あるいは極端に弱かったのです。

「鋭く、大きな直観」を用いて、事を成すには、それを考え続ける粘りが必要だったのです。また、それを持続的に追及する修行の経験が浅く、未熟でしたので、その洗練化においても低いレベルに留まったままでした。

37年、これはとても長い歳月ですね。でも、学問の発展という時間スケールでいうと短いものです。

「人生は短し、学問は長し」、私の好きな言葉を思い出しました(つづく)。

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