今朝は暗いうちから目が覚め、これを「条件反射」というのでしょうか、すぐにパソコンに向かいました。メイルの確認、ブログ記事の修正を終えたところです。
本日は、午後に東京から来られた企業の方と面会、明日からは、大阪出張を予定しています。
また、来月からは、この3年間少し自粛していた「講演活動」が再開されることになります。
11月の5日は、熊本県八代市で、9日は東京で講演を行います。なにせ、3年間の蓄積を踏まえたものになります。おかげで新たな問題提起をいくつかさせていただこうかと思っています。
また、11月末は地元で、さらに、12月初旬は高知で講演を行います。
明けて1月末か2月上旬に神戸で、2日間のセミナーを開催する予定です。3月は、長岡技術科学大学で、私の関係する学会行事を行い、講演も行います。
思えば、この3年間、いろいろなマイクロバブルの本質に出会い、それを追求することで精一杯になっていました。これをやや構えていうと「研究に打ち込む」といいます。
「一つの本質」は、「次の本質」を誘起しますが、その連鎖反応のなかで、複雑さ、多重構造性がますます増してきました。
そのことを三重の「ジグソーパズル」に例えて、そのほんの一部を紹介させていただいたこともあります。
さて、その本質に触れるということは、その姿の全体が見えるということではありません。
むしろわずかな側面しか見えず、あるいは、それに触れてもわずかな一部に留まることが多いのです。
そして、そこから、「謎解きの旅」が始まります。この「旅日記」にも、その行き着く先ごとに、少し、その時の心情を書かせていただいたこともありました。
この旅においては、「驚愕する」ほどの事実に出会ったり、「夢にまで出てくる」新たな解明もありました。
しかし、それらを、驚愕の後に、リアルに分析すると、「そうか、そういうことだったのか」と冷静になることもありました。
また、謎が多く、「どうして、そうなるのであろうか」と思い続けていたことが、徐々に明らかになっていくこともあります。
このときは、ゆるやかにおもしろくなっていきますので、わくわくする楽しさも倍増していきます。
いわゆる、「止められない、止まらない」状態に陥っていくのです。
ところで、今年になって、毎週2時間程度の勉強会を開催しています。メンバーは、先生方や学生ですが、少ない時は2人で行ったこともありますが、いつもは数人です。
この勉強会に主体的に取り組んでいるうちに、日ごろから関心を持っていたテーマについて少し調べて発表しようという気持ちが湧いてきました。私の基礎勉強の「はじまり」となりました。
これには研究生も学生も反応して、「意外にも役立つことを知った」ということが少なくありません。やはり、「継続して勉強していくことは力になる」ことなのですね。
日ごろの研究を「内堀」としますと、これらの勉強は「外堀」になります。この外堀のテーマを少しずつ、みんなで勉強しながら、「内堀の問題」へと結びつけていく、これが非常に貴重であると思うようになりました。
何事も、その「社会的背景」や「社会経済的価値」、あるいは「普遍性」があるかどうか、これらを明らかにし行くことが重要であり、それなしに研究を進めると、そのうち、どこを進んでいるかもわからなくなってしまいます。
こうして、少しずつ、この外堀の壁を打ち破っていくのですが、これが意外と手ごわいのです。
それはなぜかというと、その背景を知り、自らが指向しようとしていることに対して、その社会経済的価値を見定めようとする、さらには、そこに普遍性を見出そうというのですから、それらのほとんどは未知のことであり、「分からないことだらけ」のことだからなのです。
多くの場合、最初はトンチンカンな理解をし、驚愕するほど喜んだことが、じつは、そうでなかったり、大したことではないと思っていたことが、反対に「大変なこと」になる場合もあり、そのスリルが何ともいえず「ここちよい」のです。
この経験によって、「悲喜こもごも」が起こり、「わくわくし」、「落胆し」を繰り返すという、深くておもしろいことが日々起こるのです。
いやはや、「なんと賑やかな毎日か」とお思いになられるかもしれませんが、じつは、その通りなのです。おかげで、このマイクロバブルの旅路においては、退屈するということがありません。
「もしや」と疑い、そして、「今日はどこまでいけるか」と思いを馳せ、さらに、「とうとう、ここまで来たか」と振り返ることができるのです。
私の好きな歌に、「花咲く旅路」があります。
そのなかに、「おだやかに、ああおだやかに」、「なだらかな、ああなだらかな」というフレーズがあります。
その「おだやかでなだらか」な旅の中で、その旅人は、周りの景色をしっかり見て、楽しみながら歩を進めています。
「咲く紫は、旅路を彩る」ようです(つづく)。
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