探し続けている『セレンディピティ』の本は、いまだに見つかっていません。いったい、どこにいってしまったのでしょうか。

日常は、狭い行動範囲ですので、どこかにあるはずですが、それが、これだけ探しても見いだせないのですから、それには、特別に見いだせない理由があるのだろうと考えています。

これが、まだ本だからよいのですが、預金通帳やお金となると、さらに事情が異なってきてせわしくなります。

先日も、高速道路に乗る前に、財布をカバンに入れたつもりが、入っておらず、料金所の手前で、それを探しても当然のことながら見つかりませんでした。

カバンのどこを探しても見つからず、どうしようかと観念しかかって、「困った、どうしよう」と思っていたら、ひとつの封筒が入っていました。

これは救いの神かと思って中をみたら、運よく3000円が入っていました。「これで出られる!」とほっとしました。

私には、じつは、このようなことが珍しくなく、日常茶飯事におきています。

たとえば、ズボンの左側のポケットには、かならずお金が入っていて、ズボンを換えると、決まって、それが入っているのを確認し、その度に「儲けた」と思い、なんか得をした気分になります。

本当は、忘れただけなのですが、それで得した気分になれるのですから、これぞ「プラス思考?」というものでしょうか。

さて、その無くした『セレンディピティ』の本を読み続けています。

医学では、この思いもよらない出来事が起こることによって、まったく新しい可能性が見出されることが多いという特徴をよく理解し始めています。

ピロリ菌を発見したマーシャルとウォレンも、これと同じことが起きていました。

長い間、胃の中では強酸を出して物を溶かしますので、そこに細菌が住むとは考えられていませんでした。

また、ウォレンよりも前に、細菌を発見した学者がいましたが、それは偶然とか何かの拍子で存在したにすぎないというものでした。

ですから、彼が細菌を発見したと発表しても、だれも相手にせず、それを信用する学者はいませんでした。

マーシャルは、若い医者でしたが、ウォレンと組んで、その細菌の培養を試みますが、それがなかなかできません。

ある日、実験の途中で、イースターの4日間の休みを取ります。しかし、実験を止めるわけにはいかず、それをそのままにして休みに入りました。

そして、ドラマは休み明けの5日目に起きます。それまで実現できなかった培養が成就されているではありませんか。

この事実を前にして、この培養には5日以上の長期の時間が必要であることを悟ります。これが常識外のことだったのでした。

こうして、マーシャルらは、培養実験を成功させるとともに、ピロリ菌の実証試験を行いますが、その最初は、自分自身によって成し遂げられます。

ここにも、マーシャルの強い意志が現れていました。

それでも、マーシャルらは、「おかしな医者がおかしなことをいっている」としか評価されませんでした。

しかし、一方のマーシャルらは、そんなことは気にせず、自らの「大叙事詩」を実行しようとしていました。

「よく分からないことほど、しっかり信じられているものはない」

ミシェル・ド・モンテーニュ

つづく。

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