三谷幸喜作『笑いの大学』という映画を見させていただきました。さすが、現代人の心を捉える匠の劇作家らしい、みごとな作品でした。

この劇は、戦時中の「検閲官」と「笑いの大学」という演劇館に雇われた劇作家の二人のやりとりを中心した物語です。

この検閲官は、自分としては「やりたくない仕事」だからと、次から次に上演不許可を連発していきます。

この結果には、だれも反発はするものの、反抗することができません。

その検閲官の前に、一人のユニークな劇作家が現れ、物語は、この二人の間で、認めよ、認めないの応酬がなされていきます。

ここで作者の狙いは、これを修正しないと認めないといった部分を修正するたびに、話がおもしろくなり、その展開が次々に高次になされていくことの妙味にありました。

まさに、「ああいえばこういう」という方式ですが、そこに、知恵とアイデアが発揮されていますので、検閲官の要求以上のことが達成されて、より話がおもしろくなるのです。

これは、検閲官と劇作家の「知恵比べ」となっていきます。そして、終いには、このアイデア競争が、その検閲官の心をすっかり捉えてしまうようになります。

そして、最後の「検閲官の要求」は、脚本のすべてのなかから「笑い」をなくせというものでした。それを行ったら上映を許可するという要求でした。

そして、スマップの稲垣五郎が扮する劇作家は、この要求を受け入れ、それをみごとに書き直します。

ところが、笑いを取り去ったはずの脚本が、おもしろいのです。その検閲官は、その部分に印を付け、それらを考えると85か所もあったというのです。

そして最後にどんでん返しが起こります。

「笑いを無くせといったのに、85か所も笑うところがあるではないか」

これに対し、劇作家は、次のように返事します。

「もういいのです。私には赤紙がきましたので、許可されても、その時には、私の劇はみられないのです」

こういって立ち去っていきます。

彼を廊下まで追いかけていき、その検察官が彼に、次のように言い残すことでこのドラマは終わります。悲しくて、すがすがしい見事なラストシーンでした。

「決して死ぬなよ、この劇を上演するために必ず帰ってこい!」

「笑の大学」のテーマは、赤紙の結論と結び付いていました。

笑いのテーマが、戦争によって無くなってしまったという見事なテーマが最後に浮き上がったのでした。

笑いは人間の本質であり、あの有名なチャップリンや山田洋次監督が追及されたテーマでもありました。

「笑いの大学」が、大学ではなく、演劇館であったという名前もおもしろいですね。私としては、それが本当の大学で起こったこととして脚本を書いていただきたかったのですが、今度は、その第二編で、それが上映されるとよいですね。

大学や高専が「笑の大学」になる、アイデアとロマンを活かした「笑いの大学」、これはとても素敵な課題といえます。

それから、笑いは豊かさの中で出てきます。豊かな富を生み出し、笑いをつくる、マイクロバブル技術もそれに貢献することが大切です。

マイクロバブルで豊かな富を創出し、笑いをつくる、それが「赤紙」をなくす方法の一つではないかと思います(つづく)。

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