フォーラム2日目は、5つの講演とパネル討論会がありました。とくに後者においては、3つの話題提供がなされ、それらを踏まえて、高専と長岡技術科学大学の連携をいかに進めるか、その具体的形態や実質をどう構築するかについて白熱した議論が重ねられました。

ここでは、その内容を詳しく紹介させていただくjことは省略させていただきますが、ここでも、新原先生が大活躍されたことはいうまでもありませんでした。

私は、司会者として、この議論の交通整理をしながら、これから高専と長岡技術科学大学の新たな連携が発展していくことに、そこはかとない確信をいだくことができました。

同時に、これが、これから燎原の火のごとく、他の高専や両技術科学大学に広がっていくのかという一方ならぬ感慨も覚えることができました。

この討論会で、めでたく2日間の充実したフォーラムを終えることができました。

その後、新原先生を囲んでの昼食会があり、ここでは、昨日の世界二連覇を達成した「錦」の余りがあり、まことにささやかですが、新原先生のご尽力に感謝して乾杯をさせていただきました。

さすがに、新原先生も緊張感から解放され、表情を崩され、さらにゆかいな会話が進むことになりました。

そして、無事、新幹線改札口まで、新原先生、秦先生らを見送りした後、私もホッとして家に帰り、テレビのスイッチをひねりました。

そしたら、「龍馬伝」の最終回である「龍馬の魂」が、すでに始まっていました。大政奉還後に、龍馬は、一人で新しい政府の基本骨格を示した文書を諸藩の責任者に送付していました。

その中に、その国家をなす中心人物は誰かの部分に、○○○○と書き、そこに関心を集め議論をさせる仕組みを入れこんだのでした。この作戦は見事に成功し、その議論が日本中で沸騰します。

これで「龍馬の魂」が、さらに全国に広がり、深まることになりました。

この様子を見ながら、「おや、どこか似ているな!この議論は?」と思いました。そういえば、今日議論の中にも、同じような雰囲気があったなと思いました。

実際に、「私は薩摩の出身、ここは長州、土佐の方々もいる」という発言があり、その方も本日の「龍馬伝」を楽しみにしていると仰られていました。

さて、この1年間、その竜馬伝を楽しくみさせていただきましたが、それを振り返ると、この最後の「竜馬の魂」とは、いったい何であったのか、これが重要な問題といえます。

今回の「龍馬伝」の特徴は、普通の好青年が、薩長ど同盟の橋渡しをし、大政奉還を事実上成し遂げるまでの人物に成長していく姿を丁寧に追いかけたことにありました。

この龍馬に対し好対照をなしたのが、武智半平太であり、岩崎弥太郎でした。彼らの存在によって、龍馬の優れたところが浮き立つことになりました。

とくに岩崎弥太郎は、龍馬に敵愾心を抱いて向かっていきますが、それは常に負けてしまう結果となりました。これは、両者において目標とするものが異なり、さらにその実践の範囲もすくない違いがあったからで、その成長の度合いに差があったからでした。

しかし、弥太郎は、龍馬に負け続けながらも、その敗北の度に成長することを忘れず、最後には今の三菱をつくり上げるまでになるのですから、龍馬は弥太郎の大恩人といえます。

さて、龍馬の立派に成長した姿を見ながら、どこかで似ていると述べましたが、それは、新原先生がいわれた「自分には、もともと限界はなく、それを広げることができるのだ!」ということとよく符合することに、はたと気が付きました。

たしかに、龍馬は、自分の限界に挑戦し、それを押し広げる実践を行ってきた人物でした。

土佐の下士から始まり、脱藩、剣術修行、勝海舟への弟子入り、航海訓練所での訓練、長崎での亀山社中、海援隊の立ち上げ、さらには薩長同盟のための長州戦争への参加など、まさに実践的に自らを鍛えながら、その限界を押し広げていきました。

このプロセスで、龍馬の魂が形成されていったのであり、この実践こそ貴重なものでした。しかも、龍馬は30歳代という若者として成し遂げたのですから、これもすばらしいこといえます。

現代において、私たち、とくに若者たちが、この龍馬の魂をいかに学び、その実践を通じて成長していくか、ここが重要なところといえるのではないでしょうか。

来月初めには、その龍馬が生まれた地に行く予定です。少しでも龍馬の気分を味わうことができることを楽しみにしています。

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