本日は、朝早く起きて、懸案の2つの文書作りを行いました。

なんとかお願いして、期限を延期させていただいておりましたが、こういうものは時間が過ぎれば過ぎるほど気になってしまうので、「なんとかやり遂げなければならない」と思っていました。

それが昨夜からで、睡魔との闘いを行いながら、負け続け、その結果が朝になってしまったというわけでした。

そこで、いちばん身近にいる方に、「ようやくできたよ」というと、いつもよりはやさしい返事をいただきました。

その返事を聞きながら、若い頃に、「あなたならどうする?」とかいう唄が流行っていたことを思い出しました。たしか、次のようなフレーズでした。

「あなたならどうする? あなたならどうする

泣くの 笑うの 死んじゃうの

あなたなら」

人は誉められると、その気になってますますやる気を出すタイプと、反対に叱られると猛烈に頑張りだすタイプの両方があります。

私は、そのいずれのタイプでもあるのですが、若い時は、その前者のパターンで仕事をさせられてきたような気がします。

思い起こせば、そのとき、「あなたならできる!」、このようにいわれ続けてきました。

「そうかなぁー!」

そうであればやってみようかと、ついつい、その気になってやってみて、最後には「なんとかなった」ということが少なくありませんでした。

ところが、最近になって、この「あなたならできる!」が先方から一方的に変更されてしまいました。

「これからは、『あなたならできる!』ではなく、『あなたしかできない!』といいます」

このように宣言されて、しばし戸惑いを隠すことができずに、考え込みました。

「あなたならどうする? 泣くの、笑うの、死んじゃうの?」

ここには、このいずれにも該当しない、「重要な何か」があるようで、それはいったい何か?

長く習慣化されていたフレーズですから、いきなり変えてもらうと困るのは当方のみですが、「それを変えるな」ともいえませんので、それはそれで黙って受け入れるしかありません。

しかし、その変更後のフレーズは、私にとって「より厳しいもの」になったことは間違いないようなので、それ以来、「さて、どうしようか?」と考え続けています。

「新たな酒には新たな器を!」といいますが、この器は自分で作らなければならないので、さてさて、この器をどのように作ればよいのでしょうか?

これが問題です。

「あなたならどうする」、その器が見つかるまでは、しばらく、これとの闘いも続けるしかないようです。

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