「天与の賦」とは、「天が与えた才能」ともいうべきものです。このような能力は、最初から備わっているわけではなく、徐々に育てられていくものです。

それは、童話の「わらしべ王子」によく似ていて、自分が選択した道において自らを生かし、成長していくことを可能とすることではないかと思います。

「わらしべ王子」の場合は、そのアイデアが重要になりますが、それだけでなく、自の未来を決めていく、あるいは受け入れていく運命に対する受容性とでもいいましょうか、ここに天性のものがあるかどうかが問われることになります。

ヒトが成長する場合、自らが持っている能力以上のものが試されることになります。

じつは、それを素直に受け入れて、時間をかけてでも、やり遂げることが大切なのですが、それがなかなか思うようにできないことが少なくありません。

この意味のあること、価値あることであれば、いくら時間と労力をかけてでも取り組んで自分のものにしていく、これができるかどうかにかかっているのですが、彼の場合は、それが素直に、そして自然にできていくのです。

通常はそれができません。その労力や時間をかけることをいやがるのであり、それを回避するためにごまかしもしてしまう、このような事例が少なくないのです。

ところが、彼の場合には、それが微塵もありません。それこそ、自分流として、それを自然に身につけているのです。

彼の場合、勉強を身につけるのに非常に時間がかかります。この時間をかけて徐々にこなしていくことが人並み外れていて、それゆえに安定感があるのです。

これは、たとえば2mの階段を飛び上がることは非常に難しく、多くの人々がそれを踏み越えていくことができない、これが普通によくあることです。

ところが、この2mの段差を、200mの長さに置き換えて徐々に昇って行けば、その段差の2mは簡単に乗り越えられるわけで、このような置き換えが自然になされているのではないかと思います。

ある人から、2歳の娘がハエを何匹も捕ることができるという話を聞いて吃驚したことがあります。

どうやってハエを捕るのか、それに興味を持って詳しく聞いてみると、止まっているハエにゆっくりゆっくりと指を動かしていき、最後にはつかむのだそうで、それはすごいやと思いました。

ヒトの成長は、この止まっているような指のスピードと同じで徐々にしか実現されませんので、それをなかなか実感として理解することができない、そのために、成長もできないのではないか、そのような気がしています(つづく)。

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