本日は、久しぶりに早朝の緑地公園にいます。昨日は雪が降っていましたが、本日は快晴、暖かい冬の一日になりそうです。

おまけに、今朝は早く目覚めてたっぷりマイクロバブル入浴を済ませてきましたので、いまだ身体が温かく、おかげで本ブログ記事もそんなに苦労なく書けそうです。

しかし、さすが冬ですね。キーボードを打つ指は冷えていますので、これを温めながら書くことにします。

さて、この2、3日は学生の論文締め切り前で、それに懸命に取り組んでいました。

というのも、このごろは締め切り間際にならないと懸命にならないタイプの学生もいて、これは昔からそうなのかもしれませんが、そのような対応で、こちらも懸命にならせていただきました。

最後は、どっぷりと交わり、知恵を絞り合いながらしっかり意見を交わさせていただきました。

その彼とは、計測したデータを、最初から丁寧に読み取り、計算をし直すことが中心でした。

きちんとした実験を行い、愚着なまでにたくさんのデータを読み取ることが鍵で、それをまじめに実行していただいたことから、それこそ「新世界」が開けてきました。

すなわち、マイクロバブルの長年の「謎の一部」が解けてきたのですから、その成果は立派なものですよと、彼を無条件に誉めさせていただきました。

最高の教材を与え、学生に合った「対応」を行い、そして学生に則した理解をする、このような実践の連続でしたが、こうして論文を書き上げた学生のことを考えますと、これが「教育」だったのかと、いろいろ振り返ることが少なくありません。

それから、先日は、もうひとつよいことがありました。ある若手の方が、「虎屋の羊羹」をさげて私のところに来られたことでした。

「先生、実家に帰っていましたので」と、羊羹を持って来られたので、一瞬「あれっ、何でだろう?」と思いましたが、話をしているうちに、その羊羹を持ってきた理由を理解することができました。

じつは、約1カ月前に、かれと非常に重要な話をしたことがあり、そのことで、わざわざ来られたのだと気づきました。

この羊羹については、「私は、虎屋の羊羹しか食べない、もらわない」という方がいるほど有名であり、私も久しぶりにいただくことになりました。

しかし、これには、その美味しさよりもはるかに重要な中身があるのではないかと思いました。

その議論とは、その若手が、どのように研究においてたくましく生きていけばよいのかをめぐってのことでした。

その時、私が強調したことは、「複眼的視点」のことでした。

その視点とは、自分が行っている研究を、他の分野の視点からも見直し、その両方からアプローチをしていくことの大切さに関することでした。

私の過去を振り返りますと、専門的な個別の研究を行い、そこで手法や新たな知見を得て論文を書き、それらを踏まえて学位を取得する、この時点でようやく研究者としては自立を開始するのです。

しかし、それは立派な研究者になったことを意味することではありません。

ようやく自立ができるようになっただけのことであり、その自立も個別の科学や学会のなかでのみ成り立つことでしかないことのようです。

しかし、なかには、それでよしと思ってしまう方、自らの城に閉じこもってしまう、さらにはその流れに任せて自らを維持する、このような方々を見かけることもないわけではありません。

また、論文をたくさん書いたからといっても、それが学問の発達や社会の進歩に貢献しなければ、それは、そのうちに、ほとんど忘れ去られてしまうことになってしまうという反省もあります(つづく)。

MR900433133